
ワールドカップ本選まで1年を切った6月の代表シリーズでその成長を大きく示したのは町野修斗だろう。
初のブンデスリーガ挑戦で11得点と決定力はインドネシア戦でも発揮。1ゴールを記録しただけなく、ポストプレーでも違いを見せつけた。
果たして日本代表待望の「世界基準のFW」は誕生するのか――?
6月29日、大阪で岡崎慎司「Dialogue w/」初のリアルイベント「対談とディスカッション」を開催する。対談相手は香川真司、ディスカッションは内野智章(奈良クラブTD)とサッカー分析官でありUEFA Aライセンスを持つ木村暁。
ここでしか聞けないトップレベルのサッカー議論は必見だ。
そこで今回のイベントのテーマである「FW」にちなみ、注目の町野修斗との「対談」を一部、再掲する。
幼少期からの地道なトレーニング
—— 子どもの頃からサッカーには自信があったのでしょうか?
町野修斗(以下、町野):人の何十倍も練習しましたし、小学校のときから右足も左足も両方蹴れていたので、周りに比べて実力派抜けているなという感覚はありましたし、将来はプロになるんだろうなと感じながらサッカーをやっていました。
岡崎慎司(以下、岡崎):すごいな。
—— 岡崎さんはどうですか?
岡崎:俺はオファーがくるまでわからなかったし、小学生のころに将来プロになる自信はなかったですね。はプロになれるという自信はあんまりなかったな。お父さんがサッカーの練習を指導してくれることもあったの?
——ご両親は一緒にサッカーしてくれたり、指導してくれたりしていたんですか?
町野:父は指導者でした。利き足ではない左足が蹴れるようになったのも父から練習するように言われたからです。
左足の練習初めは上手く左足で蹴ることができず、鏡の前で何度もフォームを確認しているうちに、右足と同じように蹴ったらボールが飛ぶことに気がついて。それから蹴れるようになりました。
また小学校4年生ぐらいからは、もっとキック力がつくように、5号球のボールで練習していました。
——鏡の前でフォームを確認したり、5号球のボールで練習したりしていたのは、自分で考えてやっていたんですか?
町野:そうです。でも、最初は何度やってもボールが飛ばなくて、どうしても変な回転がかかっていたんです。
なので、野球やゴルフの素振りみたいに、いいフォームが身につくまで、ただ蹴るだけの練習を繰り返していました。
岡崎:じゃあ地味なトレーニングだったんだね。でも、それを続けられる人は、意外と珍しいと思うよ。
町野:やっぱりサッカーが好きだので、ほぼ毎日ボールに触れていました。
C・ロナウドを目指し身長185㎝に
—— お父さんまの指導は厳しかったんですか?
町野:兄には厳しかったんです。僕は兄を見て学んだり、練習をしていたのであんまり厳しくされた覚えはないです。
岡崎:じゃあサッカー選手になるうえでお兄さんからの影響も大きかった?
町野:そうですね。最初はまず兄を超えるために頑張っていました。
岡崎:サッカーの才能だけでなく、身長の高さも家族ゆずりなの?
町野:僕は身長が185cmあるんですが、お父さんは170cmくらいだし、兄も161cmくらいしかないので、家族で高身長なのは自分だけです。
岡崎:すごいね、同じ家族でも結構な身長差があるんだね。
町野:学生時代は、クリスティアーノ・ロナウドが185cmだったので、絶対に185cmになりたいって思っていたんです。なので、できるだけ身長を伸ばしたくて、いっぱいご飯を食べて、よく寝るようにしていました。
岡崎:いま身長に悩んでいる子どもも「もしかしたら」と思えるね。
町野:身長を伸ばすために自分で出来ることはあると思います。
岡崎:夏休みの間に身長が伸びる子は多いと言われているけど、サッカーに打ち込んでいながら身長伸びたんだね。
町野:やりたいと思ってやっていたことなので、自分のなかで苦になることはなかったです。
岡崎:やらされるストレスはなかったってことだね。
町野:そうですね。トレーニングとも思っていなかったかもしれないです。
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