街を歩いていると、不意に耳に入ってくる言葉がある。誰かの会話、カフェのBGM、看板の文字。芸人・鈴木ジェロニモが、日常の中で出会った“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせます。

鈴木ジェロニモの「耳の音」#08「深夜ラジオにメール送ったこととかあって」
 

 

 渋谷から表参道方面に歩く。6人。6人で座れる、喫茶店的なところ。それぞれの頭の中で渋谷から表参道方面の地図を広げて記憶と実際の道を照らし合わせる。「あ、コメダ珈琲ありますね」「行ってみましょうか」。見つけてくれた人を先頭にぞろぞろ付いていく。店の背後から近づく形になって、正面に回ってみると店の前に数人いる。先頭の1人が中に入って聞いてくれる。「5組待ちらしいです」。なるほど。ありがとうございます。「ちょっと歩きましょうか」「いいですね」。再び6人でぞろぞろ歩く。

 裏道を抜けて大通りに出る。青山学院大学の道を挟んだ反対側、国際連合大学の前のスペースでフリーマーケットが開催されている。あ、椅子。市民プールのパラソル席のような、おそらくそのフリーマーケットで買ったものをイートインしたり休憩したりできるようなスペースが、広い敷地の端に用意されている。「テラス席みたいでいいですね、ここにしましょうよ」。いいですねいいですね。私も皆さんも賛同する。ここを私たちのエリアとしますね〜と空間に了承を得るように、なんとなくの曖昧さをあえて醸しながらテーブルを2つ囲って座る。

 広いフリマスペースの真ん中あたりに、キッチンカーのシステムを利用したコーヒスタンドがある。3人ずつに分かれて買いに行く。春の夕方。さっきまでは汗ばんでいたけれどここから涼しくなるかもという気配を感じてテイクアウトしたホットコーヒーを、これより軽くなったらカップが風に倒されるんじゃないかと恐れながら飲む。

 私たち6人のうち、私ではない人が5人。そのうち3人は元からイベントに一緒に行こうと約束していた人たち。プラス、さっき偶然出会った2人。その2人のうちの1人はさっきの3人と旧知の仲で、私のことも知ってくださっていた。だからなんとなく近しく感じて、会話もそういうことになる。そして、その、もう1人。書店員さんらしく、仮にSさんとする。Sさんは偶然出会った2人の中でもとりわけ偶然寄りの人で、正直申し上げてここまでの道中で私はまだSさんと会話という会話をしていない。Sさんも初対面が多いこの場でそこまで積極的に話そうという雰囲気でもなさそうに見える。Sさん以外が主導の会話ににこにこ頷く時間が多い。

 日がさっきより落ちてきて風がひゅうひゅう吹き始める。私とSさんだけが半袖。他の皆さんは長袖で特に肌寒そうな気配はないが、私は正直肌寒く、なるほどですねーとか言いながら何回か自分の二の腕を自分のあたたかい手でさすっていた。実はリュックの中に上着が入っているのだけれど、このタイミングで上着を着たらその〈上着を着る〉という動作に注目が集まって「あ、寒くなってきましたよね」「そろそろ帰りましょうか」みたいに会話を終わらせるきっかけを生んでしまうのではないかと恐れて上着を取り出せずにいる。Sさんは……。ちらっと伺うと依然としてにこにこ聞いていて腕をさすったりもしていない。じゃあ、肌寒いのは自分だけか。〈上着を着る〉という動作がより遠のく。

「すみませんそろそろ撤収でして……」。フリマ会場のスタッフさんに声をかけられる。ああもうそんな時間ですか。それぞれコーヒーカップを片付けて荷物をまとめて席を立つ。今だ、と思って上着を取り出してさっと羽織る。OKOK。自分の〈上着を着る〉という動作の目立たなさに満足して顔を上げる。すると、さっきまで黒い半袖のワンピースだったSさんが春らしいカーキの上着を着て立っている。あれ。Sさん、上着持ってたんですか。気になって、Sさんに聞く。すみません、さっき私とSさんだけ半袖だったじゃないですか。正直寒くなかったですか?「あ、はい……」。え、ですよね。私もそうで、でもあそこで上着着たら、じゃあ帰りますかーみたいな雰囲気になるんじゃないかって。それが嫌だから着れなかったんですよ。「……わたしもそうでした」。えーちょっともーなんなんですかー、早く言ってくださいよー。Sさんが恥ずかしそうに笑う。一番遠いと思っていた人が意外と一番近い感情。それが新しくできた友達のように嬉しくて、駅までの道を夕焼けを追い越すようにわくわく歩く。

「あのー、わたし実はお笑い結構好きでライブちょこちょこ観に行ってて、深夜ラジオにメール送ったこととかあって、一瞬芸人になろうとしたんですけど……」。Sさん、Sさん。そういうのは本当に早く言ってください。

渋谷のイベント『BAR グラスとコトバ』
『BAR グラスとコトバ』で撮られる私

【次回更新は5月31日(土)正午予定】

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鈴木ジェロニモ
芸人、歌人

プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024で準決勝進出。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞で最終選考。第1回粘菌歌会賞を受賞。YouTubeに投稿した「説明」の動画が注目され、2024年に初著書『水道水の味を説明する』(ナナロク社)を刊行。文芸誌でエッセイ掲載、ラジオ番組ナビゲーター、舞台出演など、多岐にわたり活躍。>>詳細

 

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芸人・鈴木ジェロニモが、“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせるエッセイ連載。(毎週土曜 昼12時更新)

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「渋谷はね、もう全部ありすぎて、ない。」——駅ですれ違った高校生
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