演劇、映画、本、音楽——さまざまなエンタメについて、芸人・鈴木ジェロニモがただひたすらに感想を語る。考察・分析は一切無し、実際に作品に触れて浮かんだままの言葉を書く。自由で不可解、でもなんとなく頷いてしまう、そんな「コンテンツ語り」をお届けします。 第1回(無料)を読む
今回は、映画『急に具合が悪くなる』について。

俺以外全員観てんだけど、とまだ観ていない映画に思うことがある。世間的にそうなのか私周辺でのエコーチェンバーなのか分からないが、今回は『急に具合が悪くなる』がそうなっていた。今日観たい、と突然思ってインターネットで検索する。下北沢のK2(シモキタ-エキマエ-シネマ『K2』)で夜やっていると発見する。ちょうど行ける。さくさく準備を済ませて下北沢へ。世界はたまに思い通りになる。
およそ3時間という上映時間に俺いけんのかと不安になりつつ、けれど顔では全然余裕なんですけどを装って劇場がある建物の中へ。私は座高が高く体が横に広いから、少しでも周りの鑑賞体験の妨げにならないようにと後方の席を予約した。ふかふかだけれど張りのある座席に尻と背中をぶぅんと預ける。ふにふに、もぞもぞ、自分と映画館の呼吸が揃ってくるかなというあたりで、いよいよ上映が始まる。
山あいでカップラーメンを食べるシーンがとても好きだった。作品の中においては「この世界」が持つ不完全さとそれへの追求と諦念が繰り返し描かれる。まじでどうやって生きてったらいいんすか、という問いが鋭く立ち上がる。希望と絶望を極端ではない形で拾いあげ、自分が作ったわけではない「この世界」で人と生きていく、という根本的で絶対的な暗がりを、身近な光で照らす。そこにカップラーメンのシーンがやってくる。
カップラーメンというのはいわば「この世界」の象徴だと思う。価格と利便性の競争を究極に勝ち切って「この世界」の頂点に君臨するカップラーメン。それを食べるのは「この世界」に生きる私たちにとって至極当然の行動だと思う。しかし食品添加物や栄養価などを考える——考えるという資本主義的歯車動作からの逸脱に目を向けてみることをする——と、ちょっと待って、ていうか食べてていいんだっけ、とブレーキを踏みたくもなる。つまりこの映画においてカップラーメンを食べることは「この世界」の絶望を受け入れる、ということを意味する、意味してしまう。
しかし今作品の登場人物はカップラーメンをただ食べるわけではない。お湯を入れた後、2分30秒で食べる。こうやって食べるのが好きだから、と言ってタイマーで2分30秒をきっかり測り、山あいから早朝の街を眺めつつ、2分30秒のカップラーメンを友人と一緒に啜る。私はこれこそが、「この世界」で生きることの一つの答えであると思う。
早朝の山あいは都会の夜と真逆で、いわゆる資本主義的歯車からは遠い場所だろう。けれどそこで、狩猟した動物や山菜ではなくカップラーメンを食べる。私たちが「この世界」に抵抗するには、まず「この世界」で生き続けなければならない。そのために、「この世界」が決めた3分という制約をこっそり破って、2分30秒という私だけの約束を、友人と手を取り合って愚直に差し込む。自分で決めたカップラーメンは少しだけ希望の味がする。
思い通りに生きることは難しい。でもだからこそ、思い通りからこぼれる身体に生きている実感を得ることがある。生きることは世界との衝突。そっちがそのつもりなら私は何度だって立ち上がる。
【次回更新は2026年9月5日(土)正午予定】
プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024で準決勝進出。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞で最終選考。第1回粘菌歌会賞を受賞。YouTubeに投稿した「説明」の動画が注目され、2024年に初著書『水道水の味を説明する』(ナナロク社)を刊行。文芸誌でエッセイ掲載、ラジオ番組ナビゲーター、舞台出演など、多岐にわたり活躍。>>詳細

ご購入いただくと過去記事含むすべてのコンテンツがご覧になれます。
芸人・鈴木ジェロニモが、“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせるエッセイ連載。【毎週土曜日 昼12時更新】
| 無料記事を見る |
| 「渋谷はね、もう全部ありすぎて、ない。」——駅ですれ違った高校生 |
会員登録がまだの方は会員登録後に商品をご購入ください。