街を歩いていると、不意に耳に入ってくる言葉がある。誰かの会話、カフェのBGM、看板の文字。芸人・鈴木ジェロニモが、日常の中で出会った“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせます。(連載の詳細はこちら)

エッセイ集『もっと真剣になればよかった』の刊行記念として、大阪のライブハウス・梅田ラテラルさんでトークイベントをさせていただいた。ラテラルさんが「聞き手」というポジションを設けてくださり、上方落語の三味線奏者である岡野鏡さんに登壇いただいた。
「自分自身に真剣になる、私もそうありたいと強く思います」。岡野さんは良い意味でインタビュアーっぽくなくご自身の気持ちを乗せて話してくださる。「でも中高生の頃って、自分のことに集中しようとしても『はみご』になったらどうしようって心配になりませんでしたか?」。えっ。質問部分よりも、その前が気になって、もはやときめいて、仕方がない。
はみご。聞いたことがあるような気もしつつ、耳馴染みのない言葉だと思って聞き返す。あの、はみごってどういう意味ですか。「あっ、うわー! 失礼しました」。いえいえむしろ嬉しくなってしまって。「はみごというのは、仲間外れとか一つだけ余ってるとか、そういうときに使います」。ほぇー。はみごの〈ご〉は子供、みたいなニュアンスですか。「元々はそうかもしれませんが、人だけを指す感じではないですね。お土産の数が合わなくて『これ、はみごやな』とか」。
はみご。は↘︎み↗︎ご↘︎。真ん中の音が上がるのが関西っぽくて嬉しいと栃木県出身の私は思う。そのフレーズによって指し示される感情や認識がそこに住む人たちにとって頻出で馴染み深いから、方言は生まれ、使われる。仲間外れである、一つ余っている、という状況に対して自然発生的に付与された名前が「はみご」。地域で見守る子供のように、または祀り上げられる神様のように、その「はみご」的な認識を愛したり嫌ったり守ったり遠ざけたりしてきた時間が、銀河のように一瞬でひろがる。民芸品における「用の美」を、方言は持っていると思う。忘れられない言葉は結果的にうつくしい。
私たちにもそういう言葉はあるのだろうか。...