演劇、映画、本、音楽——さまざまなエンタメについて、芸人・鈴木ジェロニモがただひたすらに感想を語る。考察・分析は一切無し、実際に作品に触れて浮かんだままの言葉を書く。自由で不可解、でもなんとなく頷いてしまう、そんな「コンテンツ語り」をお届けします。
今回は新シリーズの幕開けとして、そもそも「コンテンツを語る」とはどういうことか、ジェロニモ流のコンテンツとの向き合い方を静かに、しかし確かに宣言します。(連載の詳細はこちら)

「目の音」という、簡単に言えばコンテンツ語りのシリーズが始まる。演劇・映画・本・音楽など私が触れた何かしらのコンテンツについて私が語っていく、というか書いていく。読者のあなたに留意いただきたいのは、コンテンツの中身について書くつもりはほとんど無いということ。えっじゃあエンタメ語りじゃないじゃん。はい。そうです。そうなのです。つまり、あなたがイメージするようなエンタメ語りを私はしないという宣言を、ここにさせていただく。
この作品は結末は何何で、作者は何何から影響を受けていて、過去作の流れから今作は何何、このシーンは何何のオマージュ、冒頭の伏線が何何、主題歌は何何を示唆……全部やらない。なぜなら出来ないから。
私がコンテンツに触れるとき、情報や流れを踏まえて観ることをしない。私の人生にそのコンテンツが突然現れた、という気持ちで向き合う。コンテンツへの最大のリスペクトを込めた上で言わせていただくと、私がコンテンツに触れるとき、私は主導権をコンテンツに渡さない。
コンテンツに語らせられている。そんな経験はないだろうか。「コンテンツ語り」と謳う動画を見てみたら、いやこれ「コンテンツ語らせられ」じゃないかと。作品を観て、インターネットでコメントを調べて、見つけた意見を自分の意見であるかのように思う。思わされる。作品が唯一の正解を提示していて、それに辿り着けるか試されている。辿り着けたら正解で、辿り着けなかったら不正解。正解だったら安心で、不正解だと不安。だから無理やり正解とされる意見に自分の感想を擦り寄せる。
それの何が良いんだろう。作品の前で私は、私たちは自由である。自由に思い、自由に語って良いはずだ。コンテンツは、作品はむしろそう問いかけていると私は思う。答えが一つに決まるなら、作者はその答えをコンテンツにせず直接言う。一つに決まらないから、コンテンツはコンテンツとして生まれている。
つまり私は、考察の逆をやる。考察を一切しない。ただひたすらに、感想を言う。もしあなたが考察を求めるならば、それはあなたがやればいい。インターネットで「考察」と調べたらきっと優秀なAIが活躍してくれるだろう。
私は何も、考察を否定したい訳ではない。むしろ完全に肯定したい。考察は面白い。不定形な自分の思考が、考察という管に注ぎ込まれることで一つの有形を成す。他者や社会から認められ得る形状に整う。日々に不安が多い中で、コンテンツ鑑賞後の態度に安心を求めることは自然だと思う。だから考察は素晴らしい。考察最高。考察ありがとう。考察という文化の素晴らしさは人々に、私に、もう十分伝わった。だから私は感想を言いたくなった。
本当にコンテンツを語るとき、それは人生の話になる。コンテンツの話が自分の話と綯い交ぜになる。なるほど私がここでやることは、コンテンツ語りと謳った自分語りかもしれない。コンテンツに触れた私が、私というコンテンツを語る。考察という塔から感想という空へ。落下する責任を引き受けた私たちはありえないほど自由だ。
コンテンツは、あなたに語られるのを待っていない。あなたが語るのを待っている。私はここで、誰かの意見ではなく自分の意見に耳を澄ませる。まばたきが放つ目の音すらも決して聞き逃さないように。
【次回更新は2026年5月2日(土)正午予定】
プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024で準決勝進出。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞で最終選考。第1回粘菌歌会賞を受賞。YouTubeに投稿した「説明」の動画が注目され、2024年に初著書『水道水の味を説明する』(ナナロク社)を刊行。文芸誌でエッセイ掲載、ラジオ番組ナビゲーター、舞台出演など、多岐にわたり活躍。>>詳細

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