街を歩いていると、不意に耳に入ってくる言葉がある。誰かの会話、カフェのBGM、看板の文字。芸人・鈴木ジェロニモが、日常の中で出会った“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせます。連載の詳細はこちら

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 誕生日を祝ってくれると言って、同居人や元同居人、つまりはいつもの芸人仲間たちがドライブに連れて行ってくれた。夜からのスケジュール。ジェロさんの好きなところ行こう、と言うので私は山岡家を提案した。

 ラーメン山岡家。高校の野球部を思い出す。「ロング・スロー・ディスタンス」という、学校の外をランニングする練習メニューがあった。冬によくやった。長い距離を時間をかけて走ることで有酸素運動的な云々、と言われていた気がする。ネーミング通りの行動がどのくらいできていたかは分からないが、要は学校の外を走るやつ、として私たちは認識していた。

 冬の夜の宇都宮。校門を出るとすぐに大きな道路があって、それに沿うようにぐるーっと薄暗い街を走る。幾つかの箇所に勾配があり、んだよおらあっ、と思いながらアスファルトを駆け上ることになる。そのうちのひとつ、帰路の終盤と言える箇所に、ラーメン山岡家があった。

 それほど栄えてはいないが交通量はまあある街道沿いに薄ぼんやりと、赤い看板が見えてくる。ラーメン山岡家。あー、と思いながらもそこを走り抜ける必要があるので近づく。すると、んぐっ。匂いが。

 山岡家はいわゆるこってり系の豚骨醤油ラーメンがメイン。すなわち室外機から、煮出した豚骨の香りがこれでもかと放出されているのである。山岡家だ、と認識してから数秒後、室外機の風の射程にこちらの走りが合流したタイミングで、その匂いは来る。もしかしたら状況によっては旨い匂いなのかもしれない。けれど、数キロ走った後の鼻には正直、きつい。匂いは目に見えないとされるが、感じた直後の視界にはくっきりと、豚骨の風の輪郭が見える。

 だから私たちはそこで一番速く走る。ロング・スロー、と銘打った練習メニューなのに、豚骨の風に触れる時間をできるだけ少なくしたくて、そのとき出せる全力を使って駆け抜ける。呼吸を止めて、有酸素の逆の無酸素で、んぐぅぅぅっと急ぐ。高校生の私にとって、山岡家は文字通り暑苦しく、遠ざけたい存在だった。

 けれど時が経ち32歳。YouTubeでラーメンの動画を見るという極めて32歳的行動をとる私のスマートフォンに何度も、山岡家が来る。あの街道沿い、郊外、深夜、匂い。それがYouTube的な市井の感覚とマッチして旨そうに映る。高校時代とちょうど逆だ。アルゴリズムという風に乗って、私の射程に山岡家が来た。

 特製味噌ネギチャーシュー麺、中盛り、海苔増し、半ライス。申し訳ないけど全部取り返させてもらう。そういうつもりでがばがば食べる。私たちの旨い旨いという声は途中から「いやあ、並盛りでちょうどだわ」「ライスちょっとしんどくなってきた」「油が結構くるね」と30歳前後らしい会話にグラデーションしていく。そうかなあ。イキリでもなんでもなく、本当に旨いが続く私は全てを渦のように平らげ、完飲しそうになるスープを32歳らしい理性で止める。

 食べ終えて外に出ると気持ちいい風が吹く。私は長い時間をかけて、私の人生ともう一度出会い直す。

▼以下、写真2枚+キャプション▼

来る前。どことなく緊張感がある。
来た後。勝ちを確信している。

【次回更新は2026年5月23日(土)正午予定】

 
鈴木ジェロニモ
芸人、歌人

プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024で準決勝進出。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞で最終選考。第1回粘菌歌会賞を受賞。YouTubeに投稿した「説明」の動画が注目され、2024年に初著書『水道水の味を説明する』(ナナロク社)を刊行。文芸誌でエッセイ掲載、ラジオ番組ナビゲーター、舞台出演など、多岐にわたり活躍。>>詳細

 

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