街を歩いていると、不意に耳に入ってくる言葉がある。誰かの会話、カフェのBGM、看板の文字。芸人・鈴木ジェロニモが、日常の中で出会った“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせます。連載の詳細はこちら

【過去の記事を読む】鈴木ジェロニモの「耳の音」 記事一覧

 

「AIから逃げ切りたい」。私の敬愛する作家さんが最近のインタビューでそう言っていた、と友人伝に聞く。仮にその作家さんの名前をAとした場合、その発言は極めてAさんらしい、A的であると私は感じた。

 AIについてどう思いますか。AIとの付き合い方をどうしていますか。作家のインタビューにおいて近年頻出しているフレーズだと思う。もし私として回答するならば、AIについてはよく分からない、というのが浅い思考でまず思いつく。多くの作家さんもおそらく特別に詳しくはないだろう、と私が観測する範囲で勝手に思う。作家が仕事の中でAIを使う頻度は、いわゆる一般企業と呼ばれるようなデータ分析や資料作成との関わりが深い働き方の人と比較すると、きっと少ないはず。だから、こんな便利な使い方があったなんて! というような実利のある回答が作家のインタビューから得られることはほとんどない、とあえて断言したい。

 それでも作家にそういう質問が来るのはなぜか。それは、ある種の別解を期待されているからなのではないかと私は思う。AIについてどう思うか、の「思う」の部分。AIについて、どういう感情を抱くか。感情を見つめ書き記すことを生業にしている作家が、AIという新しい存在に対してどのように心をふるわせているのか聞きたい、という欲求。作家は回答する。そしてその回答によって引き起こされるこちら側の感情は、主に2つに分けられる。共感と尊敬。

 AIを使ったイラストがなんか嫌い、チャットの口調が馴れ馴れしくて鬱陶しい、人間のことを全然分かっていないのに分かったふりをするのが許せない。このような発言は共感を呼ぶ。作家はその感情をさらに高揚させて、例えば舞台上での対談なのであれば大袈裟に怒って見せて共感させつつ笑いを誘う、というスタイルがあると思う。

 一方で。AIをなんとも思っていない、全く知らない、使ったことがない、使う必要がない。こういった返答はある種の尊敬を集める。創作活動をしている人が俗世間から程よく距離をとっていて憧れる、さすが先生、といったニュアンスである。

 Aさんの「AIから逃げ切りたい」という発言は、どちらかといえば共感に近い。そしてその発言が普遍的でなく極めてA的だと私が感じた理由は、怒っていないからである。...