吹奏楽部員たちが部活に燃える日々の中で、書き綴るノートやメモ、手紙、寄せ書き……それらの「言葉」をキーにした、吹奏楽コンクールに青春をかけたリアルストーリー。ひたむきな高校生の成長を追いかける。

第55回は浜松聖星高等学校(静岡県)#4

本連載をもとにしたオザワ部長の新刊『吹部ノート 12分間の青春』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)が好評発売中。

【前回までのあらすじ】
全日本吹奏楽コンクールで悲願の初金賞に輝いた浜松聖星高校吹奏楽部。部長の森田蕗乃は「圧倒的」を合言葉に、苦悩の末、奇跡の「覚醒」を成し遂げた。その歓喜の陰で、もう一つのドラマが進行していた。次期部長候補、2年生の田内仁菜(たないにな)。トランペット歴14年ながら、高校入学後に挫折に直面。そんな仁菜が決めた大いなる「選択」とは——。

強豪校で直面した厳しい現実

「ゴールド金賞!」

 全日本吹奏楽コンクールの会場にアナウンスが響くと、浜松聖星高校吹奏楽部のメンバーから「キャーッ!」という歓声が沸き上がった。

 創部初となる悲願の全国大会金賞。ステージ上では、部長の森田蕗乃が表彰状を受け取っていた。

 その姿を、潤む目で見つめていた部員がいた。

 田内仁菜。2年生。パートは——ホルン。

 高1のころから学年リーダーを務めている仁菜は、来年度の部長候補でもある。

(1年後、私は森田さんのようなリーダーになれているのかな……)

 喜びの渦の中で、仁菜はそう考えた。そして、ここに至るまで自分が歩んできた苦しい日々を改めて振り返った。

(この道を信じて進んできて、本当に良かった——)

 仁菜が長年吹き続けてきたトランペットからホルンに転向し、ちょうど半年。この短い月日には少女の挫折と決断、そして、新たな希望が凝縮されていた。

田内仁菜さん(2年生・トランペット、ホルン)

 仁菜が初めてトランペットを吹いたのは3歳のころだった。両親にポケットトランペットを買ってもらったのだ。

 中学からは吹奏楽部に入った。強豪校ではなかったが、仁菜はみんなから上手だと言われ、コンクールでソロを吹いたこともある。

「吹奏楽が大好きだし、高校では全国バンドで活動してみたい」

 そう思った仁菜は、浜松聖星の定期演奏会を見にいった。アクトシティ浜松の大ホールは満席。圧倒的な演奏やパフォーマンスに魅了された。

「あぁ、すごい! ステージ側から見たらどんな景色なんだろう? 私も見てみたい!」

 仁菜が浜松聖星への進学を決意した瞬間だった。湖西市の自宅から浜松市の学校まではだいぶ距離があるが、両親が送り迎えをすると言ってくれた。両親の後押しを、仁菜は心からありがたく思った。

 ところが、いざ吹奏楽部に入ってみると、困難が待ち受けていた。

 誰よりも演奏歴が長く、テクニックに自信があったのに、浜松聖星では先輩も同級生も明らかに仁菜よりうまかった。厳然たる実力差を毎日見せつけられ、必死に練習を重ねたものの、仁菜は伸び悩んだ。

 さすがに精神的にきつかった。

 55人のコンクールメンバーを決めるオーディションも受けたが、不合格だった。

 初めての全日本吹奏楽コンクールは、サポートメンバーとして舞台袖から眺めた。

(ステージからはどんな景色が見えているのかな……)

 定期演奏会だけでなく、全国大会でもその光景を見てみたかった。だが、現実には楽器も持たず、演奏するメンバーを見守ることしかできなかった。

(やっぱりあそこで演奏したかった……)

 悔しさが募った。

 コンクールメンバーの演奏は、仁菜にとってはまばゆいほどのものだった。しかし、審査結果は6大会連続の銀賞。衝撃のあまり、仁菜は泣いた。

(静岡では、浜松聖星は雲の上の存在だったのに、全国の舞台ではそんなに簡単にトップに行けるわけじゃないんだ……)

 強豪校の中で金賞に手が届かない浜松聖星と、その浜松聖星の中でコンクールメンバーに入れない自分が重なった。

(よし、来年こそは絶対にメンバーになるぞ!)

 仁菜はそう意気込んだ。

 しかし、まわりのトランペット奏者との実力差はまだ大きかった。

トランペット歴14年で下した「決断」

 2025年度になり、仁菜は2年生に進級した。1年生のときも学年リーダーだったが、部員たちの投票で引き続きその重要な役職務めることも決まった。

 4月、浜松聖星が出演するコンサートが静岡市で予定されていた。そこでは、大島ミチル作曲の課題曲《Rhapsody 〜 Eclipse》を演奏することになっていた。

 演奏上、必要なトランペットの人数は6人。だが、2、3年生のトランペット奏者は7人いた。誰かひとりが課題曲の演奏には参加できない。

「私が抜けます」

 そう申し出たのは、仁菜だった。直感で「自分だな」と思ったのだ。

 全国大会で「来年こそは絶対メンバーに」と誓った後も、演奏はなかなか上達しなかった。

 部活でたっぷり練習した後、車で迎えにきてくれた父に河川敷へ連れていってもらい、個人練習を続けた。真っ暗な中、何度もロングトーンを繰り返す。仁菜のトランペットの音は闇の中に吸い込まれていった。昼間より大きく聞こえる川音を感じながら、仁菜は唇を噛みしめた。

 全国大会後におこなわれた浜松聖星のオータムコンサートではアンサンブル演奏に参加したが、身も心も限界に近づいており、練習中に涙が出てしまったこともあった。

 そして、静岡市のコンサートを前にして、ついに自分から舞台を降りてしまった——。

「今年はホルンが足りない。申し訳ないけど、誰か移ってもらえないか」

 コンサートを1週間後に控え、トランペットの2、3年生を前にして土屋先生がそう言った。

 

 仁菜は自宅に帰ってからひとりでじっくり考えた。

(やっぱり、私がコンバートするべきなのかも……)

 ただ、コンサートで「私が抜けます」と言ったときの重苦しい気分とは違っていた。

 実は、仁菜はホルンという楽器にも少し興味があった。高音楽器でメロディやソロを担当することが多いトランペットに対して、ホルンは中音楽器。トランペットほど目立たない。しかし、そのふくよかな音、ホルンパートでつくり上げる美しいハーモニー、ここぞというときの勇壮な響きにはトランペットとは違う魅力があった。

 3歳のときからずっと吹き続けてきた大好きなトランペットを手放していいのか——。...