パパ活、海外売春、女性風俗、複数愛――。現代の日本人は「性」とどのように向き合っているのか。本企画では、性をめぐる多様なテーマを扱った書籍から、その実態や変化を読み解いていく。今回は『風俗嬢のその後』(ちくま新書)から一部を抜粋し、性風俗で働いた女性の歩みを3回にわたって紹介する。第1回は、親の援助を受けずに看護学科へ進んだあやめさんが、学費と家賃を得るために仕事を始め、さまざまな店で働いた日々をたどる。
あやめさん(仮名・三十一歳)は、高校卒業後、地元を離れて都市部にある大学の看護学科に進学した。大学の学費も、一人暮らしの家賃も全て自己負担で、親からの援助はなかった。
「私は発達障害の特性があるのですが、親が障害に対する理解がなかったこともあり、関係が良くありませんでした。父親も衝動的に怒って物を投げるようなタイプだったので、高校の時から、卒業したら地元を出ると決めていました。一般の学部に行くと就活が面倒、というイメージがあったので、看護学科を選びました」
学費と家賃が払えない
大学入学後、十九歳の時に性風俗の仕事を始めた。当初は大学の近くにあるスーパーでレジのバイトをしていたが、最低賃金に近い時給だったので、学費と家賃を稼ぐためには、全く足りない。短期間で高収入を得たいと考えて、性風俗の求人情報誌を買って、仕事を探した。
最初に入った店は、学園系のホテルヘルス(ホテヘル。客が受付所で女性を選び、近隣のホテルに一緒に移動してサービスを受ける業態)だった。身長一五五センチ以下の女性を採用しているロリコンの男性向けの店で、求人情報には「童顔・貧乳歓迎」と書いてあった。
「自分の容姿に自信がなかったので、ロリ系のお店だったら、身長がなくても、貧乳でも採用してもらえるだろうと思って応募しました。当時はパネマジ(パネルマジックの略。写真を加工して、実物よりきれいに見せるテクニック)自体を知らなかったので、雑誌やネットを見て、「風俗で働いている女の子は、皆美人なんだな… …」「自分は採用されるのかな……」と思っていました」
ホテヘルの仕事では、それなりに稼ぐことができた。店に明確なコンセプトがあるため、値段は高めだったが、根強い固定客がおり、出勤してお茶を挽くことはなかった。その店では、一年半ほど働いた。
「最初の半年は不安だらけでした。もともと警戒心の強い性格で、コロナ禍の時も感染を避けるためにずっとステイホームしていたタイプだったので。風俗は性感染症のリスクに自分から飛び込むような仕事ですよね。性感染症や妊娠にビビりまくっていました。
ただ、働いているうちに不安には慣れました。性病についても、かすり傷程度の認識になりました。
もともと、発達障害という大きな生きづらさを抱えていたので。発達障害に比べたら、クラミジアも淋病も、薬を飲めば治るじゃないですか。
余談ですが、風俗は保健所の管轄になった方が良いと思います。今は警察の管轄になっていますが、保健所の管轄になれば、今よりも性病の検査や対策などができるのではないでしょうか」
あやめさんは多動の特性があったため、学校の中でもわかりやすく浮いていて、小学校の時からクラスで一番怒られている女子だったという。
「十代の頃は自己肯定感が低く、自分が楽をすること、楽しむことに罪悪感を抱いていました。大学の同級生と一泊二日でディズニーランドに行った時も、心のなかで「私のような人間がディズニーを楽しんでいいのだろうか」と思っていました。自分を痛めつけている方が、かえって心が楽になる。
リストカットもしていましたが、傷跡があるとお客さんがびっくりするので、大学の実習などでしばらく出勤する予定がない期間に、次回の出勤までに治る程度の深さで切っていた記憶はあります」
普通に生きていたら見えない場所に行ってみたい
もともと好奇心が強いタイプのあやめさんは、「せっかくなので色々な業種を体験してみたい」と思い、大学三年生の時に、滋賀・雄琴ソープと、大阪の飛田新地で働くことにした。
「普通に生きていたら見えない場所に行ってみたいな、という気持ちもありました。飛田新地は、アングラな街の雰囲気が好きでした」
いずれの仕事も完全自由出勤だったので、学業との両立で特に不便は感じなかった。大学の実習で忙しい時期は、出勤は月二回程度に留めて、夏休みには週四日から五日出勤する、というペースで働いた。
「飛田では、全く稼げませんでした。私は青春通りのお店で働いていたのですが、他の女性は皆本当に美しくて、容姿のレベルが高い。眩しかったです。「なんで私が採用されたんだろう」と思っていました。お行儀よく上品に座って、お客さんに手を振るということができなかった。お店からは、特にやめてほしいとは言われなかったのですが、いたたまれなくなり、二、三カ月ほどでやめました」
一方、雄琴のソープは半年続いた。学園系の大衆店で、女子高生のコスプレをして接客した。
「ソープは本番ができる前提なので、大阪のホテヘルに比べれば客層は良かったです。ホテヘルの客は本番をしたがるし、とにかくがめつい。素股でドサクサに紛れて入れてこようとする輩もいました。
私は数字を追いかけるのが好きだったので、指名を取るために、自分の中で色々と工夫していました。お店でのランキングは五位から九位くらいをウロウロしていて、下から数えたほうが早かったのですが、指名を増やしてお店の戦力になっていた方がスタッフから有難がってもらえるので、頑張っていました」
ソープの仕事で稼いだお金は、生活費と貯金に回していた。収入が増えても、金銭感覚が大幅に狂うようなことはなかった。
「それまで本は図書館で借りたり、中古で買っていたのですが、風俗の仕事を始めてからは、月に二、三冊、新刊で買えるようになったことが嬉しかったです」
男性に対する意識にも、それほど大きな変化はなかった。
「私はセクシュアリティがレズビアンなので、プライベートでの性行為の感覚と、風俗の仕事で使う感覚が違う。男はビジネスの相手、という認識でした。立派なサラリーマンのおじさんも、風俗に来て、可愛い声であえいだりするんだな……と。スーツを着ている中高年の男性は偉そうに見えるけれど、そんな人でも女を求めているんだなと分かって、社会的地位のある男性に人間味を感じるようになりました」
性風俗の仕事をしていることは誰にも言えず、ずっと心理的な負担を感じていたが、大学四年生の時に、初めて信頼できる友人に話した。
「友人の反応は、「あっ、そうなんだ。へぇ?」という感じでした。友人もセクシュアルマイノリティの当事者で、色々な価値観や人間関係に触れて生きてきた人だったので、変に驚かず、自分の話をフラットに聴いてくれました」
<次回>【性の世界を語る本 】『風俗嬢のその後』(坂爪真吾・著)#2
1981年新潟市生まれ。東京大学文学部卒。2008年、障害者の性問題の解決に取り組む非営利組織「ホワイトハンズ」を立ち上げる。脳性まひや神経難病の男性重度身体障害者に対する射精介助サービスを全国各地で実施。2015年、風俗店で働く女性の無料生活・法律相談事業「風テラス」を立ち上げる。
「見えづらい」「つながりづらい」と考えられてきた風俗の世界で働く女性たちに対して、SNSでの情報発信やデジタルアウトリーチを通してつながり、弁護士とソーシャルワーカーの相談会につなぐ仕組みを構築。9年間で延べ1万人以上の女性に支援を届ける。
2025年4月、夜職従事者のための伴走AI「YOLUMINA」の開発を行う団体・ヨルミナを立ち上げる。『風俗嬢のその後』(ちくま新書)など、性と社会をテーマにした著書多数。
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🔰シンクロナスの楽しみ方
芸能人の不倫に世間が過剰反応するなど、性についての話題にはいまだある種のタブーがある。その一方で、AVや風俗などのアダルトコンテンツが氾濫し、海外からも注目を集めるなど、日本は性におおらかだというイメージもある。
では、実際はどうなのだろうか。
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