演劇、映画、本、音楽——さまざまなエンタメについて、芸人・鈴木ジェロニモがただひたすらに感想を語る。考察・分析は一切無し、実際に作品に触れて浮かんだままの言葉を書く。自由で不可解、でもなんとなく頷いてしまう、そんな「コンテンツ語り」をお届けします。 第1回(無料)を読む

今回は、クリストファー・ノーラン監督最新作『オデュッセイア』について。

 

 渋谷で昼に予定を終えて、遅くランチを食べる。近々友人の結婚式があってドレスコードが「リゾート・スペシャル・ランチ」だったと思い出す。リゾート・スペシャル・ランチ。

 夏は専ら半ズボンかデニムに頼っていたけれどさすがにいかんでしょう、と神南エリアのアパレルショップ群へ。顔を沈めたくなる湖の水面のような自然な相性のズボン、もしくはパンツを探す。幸い見つかって、大きいサイズもあってこれだから任せてくれという気持ちで購入。るんるん喫茶店へ。全然このまま帰っても最高なのだけど、なんか映画観たかった気がする、という大掴みな欲望を内部から感じてスマホで〈映画〉と検索する。

 オデュッセイア。渋谷の映画館で1時間後。めちゃくちゃ丁度いい。観たかったと思っていた映画だ、とそのくらいの曖昧さで、けれど確実な期待を込めて指でチケットを買う。172分、およそ3時間くらいある。トイレを心配しコンビニでお団子を食べてから劇場へ。ジンジャーエールMサイズを買って席に着く。

 始まるとあっという間に、奇妙だけれど圧倒的な画。これ絶対すごいはず、でも一体何なんだろう。どのくらい分からなくてよいかが分からないが、きっとこのくらいの分からなさを想定して作っているはず、と開き直って信じる。

 それからはもう、果実を剥いてかぶりつくような具体と遠くからぽつんと見つけた星のような抽象の横断が気持ちいい。きっと意味あるんだろうけれどそれを超越した体験としての映画。体を椅子に座らせて、心がしがみつく高速の龍。

 なんというか、笑った。誰の感情に自分がライドするのか定まらないまま、登場する「敵」の行動にも動機があって、それにほんの僅かに共感できるのが面白い。...