街を歩いていると、不意に耳に入ってくる言葉がある。誰かの会話、カフェのBGM、看板の文字。芸人・鈴木ジェロニモが、日常の中で出会った“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせます。(連載の詳細はこちら)

大学時代の先輩の結婚式と披露宴に参加させていただいた。先輩は私や同期の友人たちを「お前らのその感じねー、いいよ」と掬い取ってくれた人で、ともすれば〈かっこつけ〉と形容されるのかもしれないが、いじられてもかっこつけ続けてくれる、愛される人である。
私が大学1年生、先輩が大学3年生のときに私たちは知り合った。先輩のそれ以前のキャラクターについては存じ上げない。しかし先輩が披露宴で私たちの思う先輩らしい言動を見せたとき、高校の同級生や親族の方々も私たちと同じように盛り上がっていて、やっぱりそうだよね、先輩はずっとそういう人として受け入れられていたんだ、と空間にハイタッチしたくなった。
先輩と同じ2期上の代の方々も集まっていた。家族が増えた人もいて、数人のお子様が素敵なお召し物を着て会場にいらっしゃる。私はスーツ側が想定していないくらいぷくぷくに膨れており、なんかデカくなったなあ、とぎりぎりオブラートに包んでもらいながら席の周りで苦笑されていた。しかしその膨らみのおかげなのか、ジェロニモ氏に抱っこしてもらおう、縁起いいかもだし、と私を力士に見立ててお子様を抱えさせる列ができ始める。
「はーい、じゃあ抱っこしてもらおうねー、はーい」。母になったその先輩は、きっと慣れているのであろうスピードでまだ腕の形が定まっていない私に1歳数ヶ月のお子様を預けてくる。え、あちょっと、あ、はいはいはい。私は自分の体をどうすればいいか分からず、手遊びで蟹を作るような格好で一旦受け止める。私の肉の柔らかさはOKかもしれないが腕部分、お子様からすると座面の作りが悪いようで、ううーん、とあわや泣き出しそうになる。
「〇〇ちゃんよかったねえ、ほーら大丈夫」。先輩の熟達したフォローによってお子様は数秒安心してくれる。しかしまた波が来たところで私は己の未熟さを恥じ、申し訳ございません、と先輩の元へお子様をお送りする。「〇〇ちゃんありがとーって。ほら、水道水のおじさんにありがとーって」。水道水のおじさん。きっと私のことになる訳だが、言葉以前のお子様にとっては泣きたくなるほど意味不明だろう。私が挨拶されに近づくと、照れたように顔を埋めてしまう。と思いきや今度は見つめてくれる。それを数回繰り返すうちに一瞬、あ、という時間が流れる。
今、真実があったよね。お子様にそう確認したいがどうやっても叶わない。...