日本古代史の専門家が、研究の最前線を紹介する「謎解き古代史」の最新コンテンツ。記事と音声でわかりやすく解説するシリーズ「今知りたい古代史の謎」、第2弾は大宮の氷川神社や「入間道」と古典の関係、ヤマト政権に敗れた北九州の大豪族について、興味深い内容をお届けします(全3回)。
古代の道路の幅は12m?
皆さんこんにちは。「今知りたい古代史の謎」今回は古代の道・東山道「入間道」についてというテーマでお話ししたいと思います。
東山道というのは江戸時代の中山道を想像していただければと思いますが、京都から江戸との間を内陸で結んだ道です。東海道に対して内陸、岐阜から長野県、群馬県を通って埼玉県を通って結んだ道が古代にもあったということで、東の山道と書いて「東山道」と言っていました。その道について、これからお話ししたいと思います。
古代史をやっていますと、五畿七道という言い方をするんですが、近畿地方の5つの国、平城京が奈良時代にあった大和国、平安時代に平安京が置かれた山城国(京都)ですね。そして大阪にあります河内国、和泉国、摂津国。この5つの国は、それぞれの時代、天皇がいる都を守る5つの国ということで特別区になっていたわけです。これを近畿地方の5つの国ということで五畿というふうに呼んでいます。
この五畿から諸国へ7つの古代の道が通っていまして、この道沿いのエリアもまた、東山道とか東海道とか、今北海道という名前がありますけど、〇〇道という名前で呼ばれていたわけですね。五畿に対してこの7つの道とその道沿いにあった国を七道というふうに言います。東山道、東海道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道。九州全体は西海道。南海道は四国プラス今の和歌山県である紀伊国も含めて南海道。今のエリアとは違うんですが、こういう奈良時代、平安時代の日本列島の土地区分があったわけですね。
このエリアでもあり道でもあった東山道ですが、後の中山道は結構くにゃくにゃ曲がっていく道もあるんですが、古代の道というのは、天皇を中心とした中央集権の、律令国家の権力ということでしょうか、まっすぐな道を地方に通していくわけですね。
例えば、そこに古墳があったらそれをもう削ってしまうんです。あるいは湿地帯があったらそこに石や木を埋めて、そこを通れる道として使うとか。遠回りするとそれだけ時間がかかってしまいます。携帯電話はない時代ですから、例えば都で天皇が亡くなって明日から次の元号になったという知らせは全部、役人が文書を持って馬に乗って諸国にいち早く伝えていくんです。そういう交通システムができていたわけです。
この古代の直線道路ですが、道幅はどれぐらいだと想像されますか?
*続きは音声でお楽しみください
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