日本古代史の専門家が、研究の最前線を紹介する「謎解き古代史」の最新コンテンツ。記事と音声でわかりやすく解説するシリーズ「今知りたい古代史の謎」、第2弾は大宮の氷川神社や「入間道」と古典の関係、ヤマト政権に敗れた北九州の大豪族について、興味深い内容をお届けします(全3回)。
「大いなる宮」
皆さんこんにちは。「今知りたい古代史の謎」、新しいコンテンツをお届けしたいと思います。
今回お送りするのは、埼玉県大宮市にある氷川神社の歴史です。
それから『更級日記』っていうのを皆さん覚えてらっしゃいますでしょうか。高校時代、古典の授業などで覚えた方もいらっしゃると思いますが、今回は『更級日記』の中に出てくる「竹芝伝説」というのが、この氷川神社と関わってきますので、その話をお届けしたいと思います。
さて、いまは合併してさいたま市になりましたが、埼玉県大宮市という字の「大きい宮」とは氷川神社のことを指しています。氷川神社さんでは大宮のことを「大いなる宮」というふうにおっしゃるんですけども、伊勢神宮まではいかずとも、この東日本では香取神宮や鹿島神宮と並んで中心的な、古代から大きな位置を占めるお社だったということで、大宮という地名が付いていると思います。
この氷川神社さんの社殿ですが、出雲国の神様がこちらの祭神として祀られているんですが、私たち東国の古代史をやっている古代史研究者の間では、この氷川神社はおそらく、この入間田圃というのがこの近くにあるんですけども、この縄文時代以来、縄文時代の人々、弥生時代の人々の暮らしを支えた水源地として神様が祀られていたということに、神社の歴史が始まるんではないかと考えられています。
歴史学のほうで言いますと、最初に氷川神社のことが記録に出てくるのが奈良時代になるんですが、実は最初から中央に知られていたという神社ではなかったんです。
武蔵国の四社
例えば西暦772年、奈良時代のもう後半になりますけども、宝亀3年12月29日の太政官符に登場する、当時朝廷から神様へのお供えを賜っていた正式に認知された神社、官舎といいますけども、神祇官から幣帛を賜っていた武蔵国の神社は四社出ています。
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【無料】(1)大宮・氷川神社の由来と『更級日記』の竹芝伝説の関係
(2)ヤマト政権に反逆し敗れた北九州の大豪族、筑紫君・磐井
(3)『枕草子』『伊勢物語』にも登場、古代の道・東山道「入間道」 とは?
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