日本古代史の専門家が、研究の最前線を紹介する「謎解き古代史」の最新コンテンツ。記事と音声でわかりやすく解説するシリーズ「今知りたい古代史の謎」、第2弾は大宮の氷川神社や「入間道」と古典の関係、ヤマト政権に敗れた北九州の大豪族について、興味深い内容をお届けします(全3回)。

筑紫君・磐井

『今知りたい古代史の謎』。次は、ヤマト政権に反逆し破れた北九州の大豪族、筑紫君・磐井のお話をしたいと思います。

 もしかすると高校時代、真面目に勉強していた方は日本史の教科書にちょこっと出ていた話ですので、あの話かなと思い当たるかもしれませんが、ヤマト朝廷が平和に、いとも簡単に日本全国を統一したかというと決してそうではないわけです。

 正確に言うと全国ではなくて、今の東北地方は蝦夷や南九州の隼人など、朝廷に従わない人たちがいたわけですが、朝鮮半島との外交の窓口である北九州、ここの豪族であった筑紫君・磐井という人も最初は、ヤマト朝廷に全然協力しなかったわけですね。

 むしろ朝鮮半島の国々と連携を取って、ヤマト政権に反旗を翻していたということが分かってきているわけです。今日はそのへんのことをこれからお話ししたいと思います。

 私たちは普段地図で日本列島を見ますと、日本列島を中心とした地図が多いと思うんですけども、この地図を、ちょっとひっくり返して見てみたらどうなるか、皆さんご想像ください。

 中国や朝鮮半島のほうから見れば、日本はちょっと行ってみたくなる海の向こうの島なんですね。弥生時代に稲作が日本に伝わったり、あるいは鎌倉時代、1274年に文永の役、1281年に弘安の役と蒙古が襲来したり、なんで日本に、アジアからいろんな人が来るんだろうと。

 地図をひっくり返して大陸や半島のほうから日本列島を見てみると、ちょっと行ってみたい国だと思うんですね。そういう新しい歴史観のもとでお話をしたいと思います。

 

磐井の乱

 その磐井の乱ですが、皆さん、日本の高等学校の日本史教科書のシェアの大半を占めていた山川出版社の『詳説日本史』というところにはこう書いてあります。

*続きは音声でお楽しみください

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