[収録時間68分/2021年12月撮影]セルティックで活躍する古橋亨梧。遅咲きのFWはいかにしてゴールを量産しているのか。大木武、イニエスタら数々のキーマンと出会いながら、吸収した「得点感覚」と駆け引き。その秘密を徹底的に深堀りする。

駆け引きはどこで培われたのか?

スコットランド・リーグはセルティックが2季ぶりの優勝を果たした。中村俊輔が伝説的な活躍をしたことで日本人に馴染み深いその名門チームは、再び、日本人エースストライカーが印象的なパフォーマンスでけん引した。

昨夏、ヴィッセル神戸から移籍した古橋亨梧は、けがで途中離脱する期間もあったがリーグ戦21試合でリーグ3位の12ゴール。公式戦を通算すると20得点とセンセーショナルなデビューを飾った。

学生時代まで「無名」だった古橋は、大学4年12月に練習生として入団したJ2のFC岐阜でプロキャリアをスタートさせると、以降、J2、J1、欧州リーグへ急速にステップアップを遂げていった。

「無名のFW」から「日本屈指のFW」へ――その期間、わずか5年。

学生時代、「ずっと迷いながらプレーしていて、自分に自信を持てなかった」という遅咲きのストライカーはなぜ、プロの世界で一気にゴールを量産し続けることができるようになったのか。

岐阜、V神戸「ずっと自信がなかった」

――自分(岩政氏)も大卒でもあるし、すごく興味深いキャリアでストライカーになった。とくに小柄であっても、点を取り続けられる選手が出てくると、日本サッカーにとってもヒントになるなって思っているので、そのあたりも聞かせてください。

古橋 はい。

――とはいえ、遅咲きになりますよね(23歳でJ1デビュー、26歳で欧州移籍)。その要因は自分でどのように感じているんですか? そしてそれをどう思っています?か 

古橋 うーん……。

――スピードも非常にあるし、テクニックもあってシュートもうまいしってなったら、若い年代でも(すでに陽の目を浴びることができたのではないか)。古橋選手のようなタイプの選手がなぜ(表に)出てこなかったのか、逆に非常に興味があります。

古橋 単純に自分がヘタクソで、周りにうまい選手が多くて、つねに怒られてきたので。自分に自信がなかったというか。

それでも負けず嫌いなんで、頑張ってはいたんですけど。ずっと自信がなかったですね。

――サッカー選手として吹っ切れないものとかがあったんですか、自分の中で。

古橋 学生のときから試合にはずっと使ってもらっていたんですけど、うまい選手がたくさんいるなかで、使ってもらっていることに対して「うれしい気持ち」と、「なんで僕なんだろう?」という気持ちがありました。

でも、選んでもらっているからには頑張らないといけない。頑張ってはいたんですけど……結果がついてこなかったこともあります。

特に学生のときは、周りの選手がうまいから、そこについていくのに必死で自分らしいプレーみたいなことは考えられなかった。そういう意識が僕の中では強いです。

――スピードは、当時から速くはあったんですよね?

古橋 それは、はい。昔からずっと速かったですね。

――それが武器として使えるっていう感覚はあったわけですよね?

古橋 はい。それはありましたね。

――それをどのように使うかという部分が整理できてなかった、ということですか?

古橋 そうですね。迷いがありました。たしかにボールを前に蹴ってもらって抜け出すのはできるんですけど、それだけになった、というか……。

――なるほど。

古橋 例えばドリブルで仕掛けても、最後まで(シュートシーン)はいけるけど、止められたりとか。とにかく自分に自信がなかったんで。

――今はその殻を破っているわけですが、当時の自分に今、アドバイスをするとしたら?

古橋 いや、もうはっきり「自信を持って、自分らしいプレーを迷わずやれ」とは言いたいですね。

――その“吹っ切れていった感覚”を探っていきたんですが、最初に吹っ切れた感覚はプロに入って(FC)岐阜でウインガーでしたよね、当時は。

古橋 はい、ウイングです。

――岐阜に入れたのも、そんなに簡単ではなかったんですか?

古橋 簡単ではなかったですね。(大学4年)12月の1週目くらいに(FC岐阜の)練習に参加させていただいて、そこで声をかけていただいて。最後の最後でした。

――それで1年目から(監督は)大木(武)さんだった。

古橋 はい、1年目で大木さんも来て、僕も1年目でした。そこで使ってもらえたことが大きかったですね。

開幕戦から、良いときも悪いときも使ってもらえた。

あとは大木さんの言葉です。試合のリカバリーのランニングで、大木さんが「お前は大丈夫だから、続けてやってくれたら大丈夫だから」っていう言葉を毎回くれていたんですよ。

それが徐々に徐々に、こうちょっとずつ、ちょっとずつ自信につながっていったのかな。

今までやってきたことが間違いではなくて、今の大木さんのもとで練習していることが、試合でも出せるようになってきて、自分としても成長できてる感覚があったので。だから、より自信がついて自分らしくできてきたのかなと思います。

――センセーショナルに出てきたイメージがあったんですが、苦労もあったんですね。J2で戦いながら「やっていけるな」っていうところは感じてたんですよね?

古橋 はい。1年目、めちゃくちゃシュートを外して、結果がこうついてこなかったんですけど(注:1年目の2017年はリーグ戦42試合に出場して6得点)、「やれた感覚」はあったので。

2年目は大木さんを笑顔にしたいなっていう気持ちが強かったので、それがチームが一つになって、個人としても成長できて、より自信を持って自分らしいプレーができたなって思います。

――そのあたりで自信みたいなものは少し芽生えてきたわけですよね?

古橋 はい。

――プレー面について、大学のときとの違いはどこにあるんですか? ヒントになったものとか。

古橋 学生のときから、どんどんゴールに向かっていく姿勢というのが持ち味でした。でも、学生のときに自分に自信がなかったので、迷いだったり逃げで、自分のプレーというものがわからなくなっていたんですけど。

それがこう、ちょっとずつ整理されてきて、(自分プレ―が)出せてきたんじゃないのかなって、その(FC岐阜の)2年目のときは。

――「整理されてきた」のは、動き出しとかですか? 例えば、自信がないと、いわゆる単調に走っているだけになっているってことですよね?

古橋 はい。

――「整理ができた」ものを言語化すると、どのタイミングで行けばいいのか、どのタイミングで、どのくらい、どういうコースを走ればいいのか、みたいなことでしょうか。

古橋 そうですね。あとは、“心の余裕”ですね。学生のときは切羽詰まってました。(FC)岐阜の1年目のときもそうですね。2年目になって整理されて心に余裕が持てて、やれるっていう感覚もありましたし、自信にもつながりましたし。

心に余裕ができて、相手の動きだったり、味方のパスを出すタイミングだったりが見えるようになった。

だからこそ、自信を持って自分らしいプレーの強さっていうのを、2年目は出せたんじゃないかなって。

だから、半年でこう点をいっぱい取ることができて、(ヴィッセル)神戸さんからお声をいただいたんじゃないかなって思いますね(注:2年目の2018年はリーグ戦26試合に出場して11得点を記録。シーズン途中の8月1日にヴィッセル神戸に完全移籍した)。

――その頃は、ご自身はもうウインガーで勝負しているイメージですよね?

古橋 はい、サイドで。

――そこから中央での今のプレースタイルになっていったのは、やっぱり(アンドレス・)イニエスタ選手の影響は大きかったですか?

古橋 そうですね、大きいですね……。もともと、中学校のときに2トップで、小・中と2トップをやっていたんで、FWの感覚はあったんですよ。高校、大学で再度でやらせてもらうようになって、そのままきたので……。続きは本編でご覧ください!☑

1:遅咲きだった要因
2:過去の自分に言いたいこと
3:岐阜で出会った恩師
4:イニエスタとの「感覚」
5:DFとの駆け引き
6:ビルドアップに絡まない勇気
7:ゴールまで見える「点と線」
8:セルティックとポステコグルー
9:相手CBを研究する方法
10:日本のCBと欧州のCB
11:コミュニケーションが難しい中でどう合わせるか
12:「動き出し」の秘密と原点
13:動きをチェックしている欧州のプレイヤー
14:「知識」「意識」「無意識」

...