起業、独立、複業など「自分軸」に沿った選択をすることで、より理想にフィットした働き方を手に入れようとした女性たちの連載「INDEPENDENT WOMAN!」。ベトナムでカメラマンとして活躍し、雑誌制作など多彩な事業を展開する制作プロダクションのCEOという顔を持つ勝恵美さん。共同創設者と共に歩みながら、近年、事業の転換期を迎えた彼女の起業ストーリー後編。

文=相馬香織 写真=Mai Trung Thanh

勝恵美 「MORE Production Vietnam 」CEO/チーフプロデューサー
1976年生まれ。岐阜県出身。早稲田大学卒業後、テレビCM制作会社に入社。退職後、写真専門学校に入学、2002年にベトナムの日系旅行会社に入社し、日本人向けフリーペーパー『ベトナムスケッチ』のハノイ編集部立ち上げに携わり、責任者として勤務。2013年、ベトナム人パートナーとともに「MORE Production Vietnam」を共同設立。現在はCEOとしてだけでなく、カメラマン、チーフプロデューサーを兼任。日本の絵本普及プロジェクト「MOGU絵本プロジェクト」も行っている。

「やりたいこと」を続けたことで見えてきた新事業

 ベトナムで日本人向けのフリーペーパーを発行する日系企業でキャリアを積み、カメラマンとしてだけでなく、雑誌制作のノウハウを学んでいった勝さん。天職と感じていた雑誌制作の仕事を続けるため、ともに働いていたベトナム人女性と共同で制作プロダクションを立ち上げた。開業当初から順調に軌道に乗った理由は、それまでに培ってきたスキルや人脈だった。

「前職で担っていたベトナム航空の機内誌の仕事を引き継いだことで、スタート時から大きな仕事があったことはとてもラッキーでした。その後も私を信頼して仕事の依頼をしてくれるクライアントがあり、日本からガイドブックの制作や取材など、さまざまな仕事をいただきました」

 好きなことを仕事にしたいという思いでベトナムに渡った勝さんが、進んできた先で選んだ起業という道。写真や文章でベトナムの魅力を伝える仕事を続ける中で、また新たな目標が生まれてきた。ひとつはカフェ運営。

「ガイドブックの撮影などをしていると、ベトナムは、美味しい食べ物やスイーツ、可愛い雑貨などがたくさんあるのにその見せ方が下手だなと感じることが多くて。そういうものを楽しめる素敵な場があればいいのにと思い、『安南パーラー』というカフェを始めることにしました」

勝さんのオフィスの一角。これまで数々の賞を受賞し、2019年度には日本政府から外務大臣表彰も受賞した。

軸となる仕事で基盤を作り、パートナーの夢の実現へ

 こうして始まったカフェは、勝さんにとって新たな自分の表現の場となり、ひとつの事業として展開していくことに。会社を支える立場である勝さんが大切にしているのは、BtoCだけでなくBtoBの事業展開だという。

「最低限会社を支えられるような基盤となる仕事をし、財源を確保することは大切なことだと考えています。

 例えばカフェであれば、旅行会社に売り込むことで、ツアー旅行に組み込んでもらって定期的な来客を見込み、個人旅行や在住者のお客も受け入れる。また、機内誌のような定期刊行物を制作しながら、雑誌などの不定期の仕事も受ける。

 こんなふうに、軸となる仕事の確保を常に考え、プラスアルファで突発的な仕事でも利益を得ていくというビジネスモデルを構築していっています」

 もうひとつ、勝さんの会社が始めたのが、絵本の翻訳・出版事業。それは共同創設者・ヒエンさんの夢でもあった。

「ヒエンが日本を旅行した際に、絵本にとても感動したそうで、ベトナムで広めたいという夢を抱いていたんです。私もずっと日本の人にベトナムを伝える仕事をしていたので、次はベトナム人に日本を知ってもらうきっかけを作りたいという思いがありました。私のやりたいことをずっと支えてくれていたヒエンに対して、次は彼女の夢を支えてあげたいと考えたんです」

「MORE Production Vietnam」で翻訳を手がけた絵本の数々。絵本の翻訳・出版のほか、企業や個人から支援金を集め、ベトナム全国の子どもたちに絵本を届ける非営利団体「橋をかける基金」を2019年にベトナムで設立した。

コロナ禍でも支えとなった絵本事業

 絵本事業を少しずつ始めていた矢先、世界中を襲った新型コロナウイルス。日本同様ベトナムでも多くの人が感染し、政府は厳しいロックダウンへと舵を切った。勝さんの会社も打撃を受け、起業してから最大の試練を迎える。

「コロナで旅行関係や企業進出に関わる仕事がストップ。飲食店も営業できず、カフェも休業することに。ありとあらゆる仕事ができなくなりました」

 そこで「まずはやれることをやろう」と絵本事業を本格化させることに。日本人向けに行なっていた事業から、ベトナム人に向けたビジネスへと思考錯誤していた中での決断だった。しかし絵本の販売は、日本よりも物価が安いベトナムにおいて、利益を得るのが難しい市場だ。

「ベトナムでの絵本の販売価格は200~300円で、部数も多くは刷れないので、制作費やライセンス料を支払うのが難しいんです。そもそもは、利益を得るために始めた事業ではなく、絵本の普及のために始めたものでした。

 でもコロナ禍で仕事が減っていく中で、これをビジネスにするしかない。企業から支援も受けながら本格化させていきました」

 ベトナムには日本の取次会社のような流通ルートは存在せず、書店と一件一件直接契約で本を卸し、販売してもらうしか方法がない。ベトナム人にマネージャーを任せて営業し、この2年間で約300店舗の書店と契約を結ぶまでになった。

「ここまで拡大できたのは、ベトナム人スタッフの判断があったからこそ。現地には現地のルールややり方があるので、自分の力だけでなく、周りの人の力を借りることの大切さを学びました」

勝さんの会社で働く女性スタッフたち。現在スタッフの総数は14人で、共同創設者のヒエンさんとともに彼女たちを束ねている。

海外起業だからこそ現地を知るパートナーが大切

 ベトナムの街を歩くと、のんびりお茶をしている男性の姿を目にする。そこに女性の姿はあまりない。ベトナムの女性はよく働くのだ。それゆえ、ベトナムは女性にとって働きやすい国でもある。

「この国では、女性だからと下に見られることはありません。でも日本人女性がベトナムに来て、ひとりで起業するというのはかなりハードルが高いと思います」

「心から信頼できるベトナム人のパートナーと出会えたことが、会社を続けてこられた秘訣」だと勝さんは言う。日本とは政治も社会制度も異なる国。ましてやベトナムは社会主義国だからこそ、さまざまな問題も生じる。

「カフェを一旦クローズした時、そのまま店を閉じるかどうかで悩みました。当時はいつ再開できるのか先が見えない状態だったし、ベトナム政府の通達は急なので判断に困っていたんです。ヒエンに相談してみると『クローズした方がいい』と言われました。

 ベトナムは、日本と違って再開しようと思えば1カ月程度ですぐにお店をオープンできるし、物価も家賃もきっと変わるから、もっといい場所で開けるかもよと。現地のことは現地の人がよく知っているし、意見に従った方がいいと思い、クローズしました。

 今となっては彼女の選択は正しかった。あのままだったら、赤字がどんどん膨らみ、もっと悩むことになっていたと思います」

起業して得られる人との出会いと充実感

 紆余曲折を経た今、ベトナムで企業してよかったことは、「人との出会い」だという勝さん。絵本作家や大企業の社長など、あらゆる人と出会う機会を得ている。

「コシノジュンコさんのファッションショーを任されたり、上皇后がベトナムにお見えになった時にもお会いする機会をいただき、この仕事を続けてよかったなと思っています」

 ベトナムでやりたい仕事を叶えた今は、ジェトロ(日本貿易振興機構)やJICA(国際協力機構)などの資料制作を請け負ったり、日本商工会議所で理事を務めるなど雑誌とは異なる仕事も増えてきた。やりたいことだけでなく、やるべきことも。大変さもあるけれど、「生きている感じがする」と充実さを滲ませた。

「好きなことをやりたいと言いつつも、ベトナムで20年働いて、『勝さんにしかできないことだからやってほしい』と頼まれることも増えました。

 それも自分に与えられた役割だと思っているし、ベトナムに住む日本人や日本企業、ベトナムの社会に必要とされていることがあれば、しっかりやろうと思っています。好きなことと社会に必要とされていること。そのバランスを保ちながら、楽しんでいこうと思っています」

取材時は、これから出版予定の『とりあえずまちましょう』(五味太郎著)の色校を確認中。印刷は、ハノイで一番クオリティが高い印刷所に依頼しているそう。

 勝恵美さんてこんな人!ご本人のリアルに迫る一問一答。

――仕事における座右の銘は?

座右の銘ではないかもしれませんが、いつも笑顔でいること。

――耳を傾けてよかった、人からのアドバイスは?

絶対無理だと思ったことでもやってみないとわからない。
早稲田大学名誉教授で長年ベトナム研究をされている坪井善明先生に言われた言葉です。

――仕事をする上で譲れないことは?

自分なりの正義は譲れません。
ただ、もしそれでヒエンとぶつかったら、話し合いをしてヒエン言うことが正しいと思えばそちらに従います。

――大変な時に助けられた人やものは?

ビジネスパートナーであるヒエン。

――自分の強みは?

一歩を踏み出す勇気があるところ。

――逆に直したいところは?

いろいろなことに興味がありすぎるので、集中と選択ができる人になりたいです。

――起業したことで犠牲になったことは?

何もありません(笑)。

――悩みの種は?

コロナ禍で仕事の環境が変化したので、アフターコロナをどうしていくか。
自分のやりたいことと必要とされることのバランスを取りながら、どうやって会社を導いていくかが悩みです。

――ビジネスを始めたことで得た気づきは?

根拠のない自信は大切だということ。ベトナム人はとても前向きで、根拠のないことにも自信がある人が多いので、何事も大丈夫と思っています。

――ストレス解消法は?

ストレスの度合いによって段階があり、公園の散歩、ヘッドスパ、一番ストレスが溜まった時は写経をやっています。

――毎日必ずやることは?

猫の世話と、毎朝コーヒーを豆から挽いて飲んでいます。
元々カフェをやっていた時に使っていたアラビカコーヒーをオーダーしています。

――自分らしさを失わないために意識していることは?

笑顔でいること。
そしてつねに、物事を前向きに捉えるようにしています。

――落ち込んだ時の対処法は?

友達と話します。
話を聞いてもらうと安心するし、ちょっとストレス解消にもなります。

――起業をしたい人へのアドバイスは?

一歩踏み出してみること。まずはやってみることが大切。
そしてその時に下調べをしたり、周りの人に聞いたりして、準備をすること。

―どんな世の中になってほしい?

想像力のある世の中になってほしい。
想像力がなければと人を愛することも、平和を求めることもできないと言われたことがあり、最近それを感じることが増えています。戦争をすることで困る人がいる。想像できればその選択をしないかもしれない。平和や愛を考えられる人が増えるといいなと思っています。

起業前後の環境や気持ちの変化をチャートで分析!

 

「ベトナムでやりたい仕事ができるようになり、精神的充実度は上がりましたが、コロナ禍で大変なこともありました。時間的余裕は、自分で動くことに変わりはないので、そこまで変化はありません。ストレスに関しても、コロナ禍になったことでストレスが増えた部分もあるので、変化はありませんね。

 起業したことで増えたのは、プレッシャーと社会的責任。会社を持ち、スタッフを抱えると自分の責任が大きくなりました。ベトナム人の働き方は日本人とは異なる部分も多いので、会社ではあまりルールを決めず、『やることだけはちゃんとやってね』と言っています」