
「現場力と構想力」「ブレーン・ハブ」「集積メカニズム」「教育と非構造化」……今までにない地方創生と組織の在り方を掛け合わせた『大学まちづくり 地方創生 担い手不在を覆す』が好評を呼ぶ。
著者のひとりである田中克徳氏は、長野大学で実践を続けてきた。地方創生の入門的知識から、課題と対策を検討する集中連載の第6回は、その過程を紹介する。
多様な人材が活躍できない背景とモデルとなる「好縁社会」
地方創生における大学のポテンシャルについて、本連載ではジョン・メツラー、矢作尚久という異なる領域の専門家にも寄稿いただき、また現在進行形で動きが始まっている長野大学の現場事例などを交えて論じてきました。
一方、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)においても、約36ヘクタールに及ぶ隣接地において「健康と文化の森開発計画」が進行しており、数年後の「まちびらき」を控えています。
藤沢市は首都圏に位置するものの、都心からの鉄道所要時間は長野大学のある上田市とさほど変わりません。さらに最寄りの湘南台駅から3キロ近く離れたキャンパス立地は、二次交通に課題を抱える地方都市の構造と相似しています。
注力する産業領域こそ異なるものの、大学自らが「ブレーン・ハブ」として自律的にまちづくりに参画する試みが、ここでも始まっています。
各所で言われる通り、変化の激しく不確実性の高い環境下、過去の経験則や単一の研究領域だけで複雑性の高い未来のまちづくりの解決策は見出せません。直近ではAIの著しい進展もそれらを加速させています。
だからこそ、すでに現場がある長野大学での取り組みを「実践知」として積み重ねながらSFC隣接地でも社会実装につなげていくアプローチに挑んでいるわけです。
こうした現場でのアプローチや本連載の内容も含め、今年春に3人の共著として『大学まちづくり 地方創生 担い手不在を覆す』を上梓致しました。
■地方現場の声、実際のまちづくり、統計から浮かび上がる「適切な人が、適切に組み込まれていない」実態に加え、地方創生の「担い手」について評価の高い理論体系をとおしてモデルを示し、日本社会における「担い手」不在の解決策を「地方にある大学」を中心とした「大学まちづくり」として、その具体的な進め方を提唱する。
大学の存在は、「教育」はもちろんのこと、「経済」、「文化」や「生活」さらには「慣習」など、社会の中で包摂的に、さまざまな課題に取り組める存在になりえます。
地方創生を単なる経済政策としてではなく、個人の「発育」や「教育」という根源的な視点と「構想力と現場力」を備えた担い手の不足を「大学まちづくり」を通して接続する――それが本連載や書籍の意図になります。
地方創生の拠点となるコミュニティとは?
「ブレーン・ハブ」と「好きな縁」でつながるコミュニティ
長野大学の活動もまもなく1年半が経ちます。
地域の活性化というと、日本ではとかく自然や地理、交通インフラなどの話が多く指摘されますが、第3回でジョン・メツラーが「地域の集積のメカニズム」として大学が「ブレーン・ハブ」としての役割を果たすことの重要性を述べている点を見逃してはいけません。
今回はこの「ブレーン・ハブ」としての活動基点になる、地域の経営者、学生や卒業生そして地域外の事業家、専門家などを有機的につなぐコミュニティの重要性について取り上げます。
図表・地域集積のメカニズム
第1回で地方創生の議論であまたの施策が並ぶが、実行の段階になると具体的な話が欠落しがちで一体、「誰が」「いつまでに」「どのように実行するのか?」という「担い手」が地方創生のキーになることを挙げました。
「よそ者、若者、バカ者」が地域を変える、というフレーズは、地域活性化の議論をする際に必ず指摘されることですが、まさにその通りです。
「若者」は大学をハブにすることで解決できる可能性があります。
では「よそ者」はどうでしょう。「地縁」だけで変革を起こすのは現実的ではない時代に突入しているのは自明です。
みなさんは「好縁社会」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
これはかつて経済企画庁長官を務めた堺屋太一氏が書籍『世は自尊好縁』(日本経済新聞社/1994年)の中で使った言葉です。
「太古の血縁社会は、野獣や他部族からの防衛を主に、狩猟や遊牧などの生産の利便を従にした形態である。農耕時代における地縁社会は、生産の利便を主に、土地と収穫の防衛を従にした形といえる。この段階までの人類は、まだ快楽を社会構造の目標に加えるほどの余裕がなかった。これに対して近代工業社会の職縁社会は、生産を主に安全と楽しみを従としたものだ。ここでは防衛(安全)は、軍隊と警察という最も職縁的な組織の専門家に委ねられ、他の市民は一定期間の徴兵や自警団に参加するだけで、あとは生産の一部を租税として提供し、専門家を養うようになった。いわば、生産の一部で防衛(安全)を買う仕組みである。
これからの高齢化・成熟社会では、生産(所得)よりも楽しみ(満足)へと人々の関心は移行するに違いない。人生の幸せは、所得の高さではなく、好みを満たす度合いだと感じる人々が増えるだろう」(234頁)
「新しい体制を作り出すことは、職縁に代わる縁で繋がる社会を作ることである。もし、それが人々の満足をより高めることを目的としたものであるなら、それぞれが自らの気持ちを偽ることなく尊び、同じ好みの縁に繋がる人脈ができる世の中になるだろう」(269頁)
「職縁」に代わる縁でつながる未来を予想したうえで、本書の中でこうも言っています。
「これからの企業経営者は、職場共同体の崩壊を恐れてはいけない。いやむしろ、それを積極的に推進してサラリーマンの職業倫理を信じる能力買い取り型の経営を目指すべきだ。そのためには、職縁社会に代わる好縁社会を活用する組織の気風を育てる必要がある。職場が好みの縁で繋がる場であれば、きわめて有利な人材収集と労務運営ができるからだ」(258頁)
堺屋氏は、「同じ好みの縁に繋がる人脈ができる世の中」においては、稼ぐ主体の企業組織でさえも、「好みの縁で繋がる場」であるべきだと言っているわけです。
まさに今、地方に必要なことだと思っています。堺屋氏が本書を記してから、50年以上の歳月を経て、これからの地方が稼ぐにはこの「好縁」的なつながりを重視しながら、その地方ならではの「らしさ」を尖らせていくべき時代がやっと動き出したのです。
第2回では地域のリーダー層の方の言葉を紹介しました。
「地域の皆さんにおしなべて新しいことを諮ると大抵誰かが反対して、結局進まないんですよ……」。
総花的議論となりがちな日本の地域コミュニティの課題を挙げましたが、これは「好縁」よりも既存の地域での関係性、すなわち「地縁」を重視したコミュニティになっていることが特徴です。若い世代や「よそ者」が活躍しにくい構図になり、それが「担い手不足」を増長しています。
大学は中立的な立場を取りやすく、知的かつ情緒的にコミュニティを運営しやすいことを本連載でも述べました。複雑な関係が渦巻く地域社会において「地縁」を尊重しながらも、「よそ者」を含めて「好縁」でつながる場づくりができるのです。
料飲文化を学べるまちといえば……
上田を例にすると、第2回で紹介した長野大学のプロジェクト立ち上げにかかわっている同大学の副学長(当時、現在は長野大学地域づくり総合センター特任教授)熊谷圭介さんは、一度長野県を出たUターン人材。2025年4月からスタートした同プロジェクトの出捐企業のひとつである岡崎酒造の代表取締役・岡崎謙一さんは埼玉県のご出身で、奥様とのご結婚をきっかけに上田に移住されています。
地縁だけではないネットワークが上田市を元気にしようと積極的に活動をしています。
また、本プロジェクトには心強い仲間も加わっています。幼少期からラグビーに打ち込み、上田市・菅平を「青春の地」として育ったTOPPANの若手社員、會田遥平さんです。
東京出身の會田さんは、会社へ副業申請を行って長野大学のプロジェクト研究員に着任。この春から学生コミュニティのリード役として活動を牽引し、早くもプロジェクトに欠かせない重要な役割を担っています。
元々、上田という「まち」は、日本酒やワイン、味噌といった発酵食品の生産が活発で、料飲文化を考える場所に適しています。
「料飲文化を学べるまちといえば」と問われて、パッと日本の地域を思い浮かべる人は、あまりいないはずです。
けれど、上田市にはそのポテンシャルがあります。海外でいえば、イタリアにはボローニャ、ナポリ、パルマといった「美食のまち」があり、世界中から観光客が訪れていますし、ミシュランに選出されているお店が軒を連ねるスペインのバスクのようなまちもあります。
「美食のまち」と問われて、世界中の人々が「ボローニャ」や「バスク」を挙げるように、日本中の人々のみならず、世界中の人々が「上田」を挙げるような未来を作り上げることができるはず。これが上田市における「大学まちづくり」の可能性です。
好縁からはじまる「共創パートナー」として役割を再定義
未来図を開陳すれば、「おいしいものがあるまち」から一歩進めて、それを「文化」という角度から深掘り、研究して「食に関する仕事をしていることを誇りに思える人材」が上田から輩出されていき、上田と日本、上田と世界で人材が行き来するようになれば、自ずと、上田に料飲を軸とした「好縁社会」が生まれ、料飲産業を中心としてまちも栄えていく……。
堺屋氏も指摘した通り、日本の地方は「血縁」「地縁」「職縁」が中心となって、支えてきました。そうした「縁」の「共同体の拠り所」は、第2回でも触れましたが、日本全国に16万程度は存在すると言われている神社仏閣だったと思います。
しかし、時代の変化はそうした「縁」や「拠り所」の役割の変化をも促しています。
もちろん、「地縁」や「職縁」、そして神社仏閣の重要な役割はまだ存在しており、共同体を維持するうえで欠かせない要素であることは間違いありません。
それでも、たとえば、(神社仏閣が中心となることも多い)祭りの開催や防災を担ってきた町会や自治会の活動が、人手不足によって立ち行かなくなりつつあることは自明であり、タワーマンションの建設によって人口が増えているはずの都市部において「町内会」の維持が難しいケースも出てきており、「地縁」の意義は再考を迫られているのも事実です。
「職縁」についても、高度成長期のような一括採用、年功序列、終身雇用は過去のものとなりつつあり、副業や復業のように複数の職縁をもつ人も多くなってきています。
そうした時代の流れを見るにつけ、「共同体の拠り所」としての神社仏閣のような役割の一部を、各地にある大学が担うことができれば、「地縁」と共存する、あるいは「地縁」を超えた「好縁」なコミュニティが誕生するのではないかとの考えが、このチャレンジの本質になります。
補足すれば、こうした「好縁」は激変する情報環境がもたらす「幸福度」へも良い影響を与えると思います。
長野大学の取り組みも、地道ではありますが一歩ずつ前に進んでいます。
「実践知」をキーワードに活動を通して浮き彫りになってきたのは、わたしたちのプロジェクトは単なる「開発者」や「サービス提供者」から「地域の持続可能性を担う共創パートナー」へと役割を再定義することが不可欠である点です。
「真の担い手」予備軍を応援するコミュニティ
地域において今、本当に求められているのは、事業に本気で向き合う「真の担い手」の存在です。だからこそ、表面的な体験にとどまらず、本格的な「事業開発」の実力を鍛え上げられるコミュニティが欠かせません。
この1年半の活動を経て、実践的な挑戦を志す学生や卒業生が現れ始めました。実際、地元経営者からは「上田城跡公園下の敷地を活用し、発酵をテーマにした飲食事業を立ち上げないか」という具体的な事業提案が寄せられています。さらに、東京などで先進的なカフェ事業を展開してきた経験豊富な経営者による支援も動き出しています。
一方で、事業計画を真剣に掘り下げるほど、ビジネスの現実は「そう甘くはない」という壁にコミュニティ全体が直面しています。しかし、「真の担い手」を目指すプロセスにおける醍醐味と厳しさの双方を共有することこそが、コミュニティの地力を引き上げます。
この「甘さ」への自覚と直面する試行錯誤こそが、本物の「実践知」の蓄積につながります。むやみに起業を急き立てない姿勢もまた、育成コミュニティが果たすべき重要な役割です。「まずは就職して東京で基礎体力を培う」という選択肢を肯定し、兼業・副業を通じた関わりや、30代でのUターン、あるいは将来の地域経営者への挑戦といった息の長い歩みを支えていく。それこそが、持続可能なコミュニティ支援のあるべき姿だと考えています。
今後の展望を見据えると、AIの急速な進展によって起業コストが劇的に下がり、必要な知識やノウハウの獲得にかかるハードルも格段に低くなっています。
本コミュニティでは、そうした時代の変化を味方につけた実践的な伴走支援を通じて、より早期に「真の担い手」を輩出していく道筋を描いていく予定です。