この数年で「多様性」という言葉がよく聞かれるようになった。

 あらゆるバックグラウンドを持つ人々が尊重し合う社会は理想的だが、簡単なことではない。

 本能的に抵抗を感じる「自分と違う」ものに、どう向き合うか。そんな多様性社会を生きるヒントが、文化人類学の学びにあるのではないか。

 松村圭一郎さんへのインタビュー第2回は、「多様性」の観点から見る文化人類学と私たちについて。

 松村さんが「多様性という言葉には注意が必要です」と話す、その理由とは。

松村圭一郎(まつむら・けいいちろう) 1975年熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。所有と分配、海外出稼ぎ、市場と国家の関係などについて研究。著書に『くらしのアナキズム』『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)、『はみだしの人類学』(NHK出版)など。共編著に『文化人類学の思考法』(世界思想社)、『働くことの人類学』(黒鳥社)

(執筆:合楽仁美)

前編『いま話題の文化人類学、その「有用性」ってなんだ?
求められる理由と、研究者の葛藤』はこちら
https://www.synchronous.jp/articles/-/384

キーワード「多様性」が無視しているもの

──「多様性」に注意が必要とは、どういうことですか?

 「多様性」は最近、世界的なキーワードになっていますね。いろんな性質や文化を受け入れよう、尊重しようという社会の動きで、それ自体はすばらしいことです。

写真:SolStock

 ところが、多様性を叫べば叫ぶほど、無視されてしまうものがあります。

 たとえば、日本に住む私たちが「外国の異文化を寛容に受け入れよう」と意識したとしましょう。そのとき、本来は多様なはずの「日本文化」や「異文化」を、あたかも均一であるかのように見てしまいかねない。

 つまり「AとBとCの多様性」という言葉には、Aの多様性、Bの多様性、Cの多様性、それぞれの内部にある多様性をなかったことにする圧力が伴うのです。

 これは、性別に関しても同じです。「ジェンダーの多様性」というと、男性と女性、もしくはセクシャルマイノリティの人たちを平等に扱うことにフォーカスするあまり、それぞれの性については「男性はみんなこういうものだ」などと固定して考えがちです。

 しかし最近の研究では、人間などのオス/メスの性別には明確な線引きがあるわけではなく、グラデーションであることがわかってきています。

──男性器の有無じゃないんですか?

 そう思いますよね。出生時にペニスの長さや形状で男子かどうかが判断されますが、たとえば1.5センチ以上の大きさという基準があったとしても、1センチのペニスを持って生まれてくる赤ちゃんもいます。必ずしも「有りか無しか」ではないんです。

 オリンピックなどのスポーツ競技では、男性ホルモンであるテストステロンの量で男女を区別します。それも、実際には女性でテストステロンが多い人もいます。しかもその量は、一生の間でも変化する。

陸上800mで五輪を連覇した南アフリカのキャスター・セメンヤは、先天的に通常の女性の3倍以上のテストステロンを分泌する体を持っていた(写真:Lachlan Cunningham / 特派員)

 男女の区別でさえ、私たちの想像以上にグラデーションがあるのですから、他のことであればなおさらですよね。

 多様性を意識するときは同時に、その多様性を構成する一つ一つの要素そのものが、とても多様であることを認識するのが大切なんです。そうしないと、多様性という言葉が、逆に別の多様性の存在を覆い隠してしまいかねない。

「伝統」に見る、自文化を語る難しさ

 そもそも、多様性を構成する要素の一つである「自分たち」についても、私たちは往々にして勘違いしがちです。

 たとえば、日本について考えてみましょう。

 よく「日本は島国だから……」といいますよね。海に囲まれているために、閉鎖的な意味で使われる表現です。

 でも実は逆で、海に囲まれているのは、外に開かれていることの証でもあります。

 私が住む岡山に「造山(つくりやま)古墳」という日本で4番目に大きい前方後円墳があり、その上に置かれた石棺の石は、熊本の阿蘇山の火山活動で生まれた溶結凝灰岩であることがわかっています。

──古墳時代に、熊本から岡山まで岩を運んでいたということですか?

 ええ。宇土半島から船で運び出されて、関門海峡を瀬戸内海へ入ったのかもしれません。

 むしろ自動車のない時代は、陸上で物を運ぶのはたいへんです。しかし海なら、船に乗せてさえしまえば陸より早く、大量に物を運ぶことができる。

 瀬戸内の島々に石切りの島が多いのもそういう理由ですね。重い石も海に囲まれた島なら簡単に運び出せる。

 海は外との交流を隔てるどころか、ハイウェイでもある。私たちの先祖は、想像以上に多様な文化が交じり合う、グローバル社会を生きていたのかもしれません。

──島国のイメージがくつがえりました。

 日本文化についても、同じことがいえます。

 学生たちに「伝統的な日本文化って何だと思う?」と聞くと、畳、着物、和食……などの答えが返ってきますが、それらはすべて、正しいとは言い難い。

写真:Wako Megumi

 日本の民家は、昔からほとんど板張りか土間です。大河ドラマでも、中世武士の館も板張りでしょう? 畳とは文字通り、ふだんは畳んで収納し、お客さんが来たら座布団のように出すものだった。

 畳が常設されていたのは、将軍や殿様のお屋敷くらい。戦後、アメリカの文化が入ってきてフローリングの洋風の家が増えたと思いがちですが、日本は歴史的に、フローリング生活のほうが断然長いのです。

 「和食=お米」のイメージも同じです。

 江戸時代までは、お米を日常的に食べられた人は一握りにすぎませんでした。時代劇で農民が水田で米を作る光景が思い浮かぶかもしれませんが、それは基本的に年貢で納めるためのもの。庶民はハレの日を除き米食が禁じられ、ふだんは雑穀などを食べていたのです。

 明治時代に米不足が起きたのは、庶民にも米食が解禁されたからでもあります。今まで特権階級が食べる分しか作っていなかったのですから、足りなくなるのは当然ですね。だから満州や朝鮮半島への「開拓団」が結成されたんです。

 にもかかわらず私たちは、お米を食べると「あ~、やっぱり日本人だわ」なんて思ってしまう。

──思います(笑)。

 こんなふうに、伝統や記憶は「つくられて」いきます。本当は変化に富んでいるのに、「歴史」「伝統」という言葉から、あたかもずっと変わっていないような自己イメージを作り上げてしまうのです。

 日本文化を語る難しさは、単に日本人が自国の文化を知らなくなったというよりも、特権階級のものだった畳や米食など、一部の文化を全体で続いてきたかのようにとらえてしまうことなのかもしれません。

──外国人が日本のことを「ニンジャ、ゲイシャ」と言うのを聞くと的外れな印象を抱きますが、それと同じような認識を、私たちは自文化に対して持っているのですね。恥ずかしくなります(笑)。

 文化に限らず、こうした事例は身の回りにたくさんあるんですよ。

「自分と違う」と感じた時、思い出したいこと

 多様性の代名詞の一つである、外国の文化についてもお話ししましょう。

 私はエチオピアに20年以上通い、おもに所有という問いを考えてきました。調査をはじめた村で部屋を間借りしたとき、私が持っていた携帯用短波ラジオを大家さんが見て「いいラジオだなあ」と、持っていってしまったんです。

 自分の部屋で聞くのかなと思っていたら、なかなか返ってこない。どうやら職場にまで持って行っていたようです。この件から、エチオピアの人たちは私たちと違い、物を「みんなのもの」とする所有観を持っているんだと思いました。

 ところがしばらく滞在していると、すべての物を共有しているわけではないことがわかってきました。「これは俺のものだ」と、個人の所有が主張される場面もよくあるわけです。

 このとき、卒業論文を書くために訪れた沖縄県・黒島での体験が重なりました。

 島の敬老会にお邪魔したときのことです。高齢者には食事が用意されますが、若者は各自で弁当を持参するのがルールでした。

 お昼になりおなかが空いたので、私が持参した弁当を食べると、みんなに怪訝な顔をされました。というのも、そこでは持ち寄った弁当を真ん中に集めて、みんなで食べるのが恒例だったからです。

 かといって黒島でも、いつも弁当を共有するわけではありません。牧場で仕事するときなどはごく普通に、各自の弁当を一人で食べます。ただ敬老会というハレの場では、そういうルールだったということです。

 考えてみれば私たちも、飲み会で会費を計算するとき、各自が飲食した量を厳密に反映させるのではなく、たいていは人数で割りますよね。無意識のうちに、所有の枠組みを緩めたり締めたりしているんです。

 異なる社会に行き、自分の価値観と異なる対応に出くわすと「あの人たちは私たちと違う」と決めつけてしまいがちです。

写真:kemalbas

 かつての文化人類学も、A社会にはAという文化が、B社会にはBという文化があるという描き方をしてきました。

 しかし現在では、A社会にもB社会にも、XロジックもあればYロジックも存在する。けれども、それが出現する場面が異なるのだと考えるようになりました。

 エチオピアにも黒島にも、私たちが住む社会にも、ある物を個人のものとするロジックと、みんなで分かち合うロジックの両方がある。ただ、その配置がずれているだけなのです。

 自分と相容れない価値観に遭遇したときには、相手が「おかしい」のではなく「自分と相手のロジックの配置がずれているのだ」と考えればいいと思います。

──文化人類学を学ぶと、周囲にやさしくなれそうですね。

文化人類学の視点が、固定観念をときほぐす

 このように、「文化」は国境や宗教の「線」に沿って存在するわけではありません。世界はすごくバラエティに富んでいるし、富んでいるからこそ、共通性を見いだすこともできます。

 エチオピアには、目上の人にお辞儀をする文化があります。敬語もあるし、家に入るときは靴を脱ぐ。だからといって、日本の文化が伝わったわけでも、その逆でもありません。多様だからこそ、離れた場所で同じ習慣が生まれうるのですね。

 また、エチオピアは海に面さない内陸国で、全体としてはあまり魚を食べないのですが、湖沿いの町で刺身を食べているのを目にしたことがあります。

──刺身を食べるのは、日本人だけだと思っていました。

 そう思われがちですが、私たちが他地域の例を知らないだけなんです。それに日本全国どこでも刺身を食べられるようになったのは、冷蔵・冷凍技術や輸送網が発達したからなんだと思います。日本でも昔は、新鮮な魚の刺身を食べられたのは、漁師町の周囲の人だけだったはずです。

 つまり刺身は、日本文化というより漁民文化なのだとわかる。そう考えると、エチオピアでも湖の周囲だけで刺し身が食べられている理由も納得できます。

 異文化だと思っている社会(=エチオピア)と自分たちの社会(=日本)を行ったり来たりしていると、自分が知らない私たちの姿に出会うことができるのです。

──「文化人類学的にものを見る」とは、固定観念をときほぐす作業なんですね。

多様性の尊重=「単純な線引き」にとらわれないこと

──多様性を構成する要素そのものが多様であること、異文化と自文化は価値観が明確に違うというより、ロジックの配置がずれていることなんだとわかりました。
 とはいえ、スポーツ競技では男女の区別は必要ですし、商品を売るためには短いキャッチフレーズで人々の心をつかまなければいけません。私たちが社会生活を送るには、便宜上、どこかで線を引かないといけないですよね。

 そうですね。たぶん大切なのは、それらの区別が仮のものにすぎない、と認識しておくことだと思います。そもそも現実は、そんな単純な線引きにはおさまらない、もっとずっと複雑で多様なのだ、と。

 男と女、日本人と外国人といった「多様性」のベースになるカテゴリーは、つねに現実からかけ離れている。けれどその「仮のもの」がいつのまにか現実そのものだと勘違いしてしまう。言葉には、概念で物事を切り取り、固定する性質があります。なので、それは言葉をもとに現実を認識する人間の限界でもあります。

 ですから、一般的にイメージされるカテゴリーは仮の区分でしかなくて、現実はつねにもっと複雑な差異と共通性にあふれているんだと考えておく態度が、文化人類学的な視点でいう多様性を尊重することなのかもしれませんね。