成人するための通過儀礼としてバンジージャンプをするバヌアツのペンテコスト島の人々、一人前になるためにライオン退治に挑むマサイ人...。

 ある国では、結婚しないと重い枷を付けられたり、罰として街の掃除をさせられたり...。

 世界には驚くような「変な文化」がたくさんあります。

(写真:Ozkan Ozmen)

 自分とは異なるいろいろな人や社会を尊重していくことが求められる現代において、「変な文化」の背景を知ること、多様性への想像力を高めることは非常に大切。本企画では、文化人類学者の知見をお借りして、世界のあっと驚く文化を取り上げます。

 第2回は、日本にある「変な文化」から、多様性への想像力を考えます。

 前回に引き続き、斗鬼正一先生にお話を伺うと、私たちが身近に使っているあの機械の使い方から、日本人の価値観や課題の一端が見えてきました。

第1回はこちら
https://www.synchronous.jp/articles/-/294

斗鬼正一(とき・まさかず)江戸川大学名誉教授
 文化人類学者。専門は都市人類学、異文化コミュニケーション。1950年鎌倉市生まれ。明治大学大学院修了後、明治大学や江戸川大学で教鞭を執る。著書に『世界あたりまえ会議』(ワニブックス)、『頭が良くなる文化人類学』(光文社)、『こっそり教える世界の非常識184』(講談社)、『目からウロコの文化人類学入門-人間探検ガイドブック』(ミネルヴァ書房)。
南太平洋に浮かぶバヌアツ共和国、ペンテコステ島パンギ村にあるジャンプ用の木製タワー( 写真:rweisswald)

そのエスカレーターの乗り方、変ですよ

──今回は、日本にある変な文化について教えてください。

 非常に身近なものですが、エスカレーターの使い方は、変な文化の一つです。

──えっ、エスカレーターの使い方が変なのですか。

 朝の駅、通勤時間のエスカレーターを想像してください。片側に止まって乗っている人、もう片側に歩いて上る人がちらほら。

(写真:ooyoo)

 片側を空けて、そこを歩く人がいる状態を「エスカレーター片側空け」と呼ぶとしましょう。これは、すごく変な文化なんです。

 なぜ変かというと、使い方が非合理なまま変わっていないから。

 新しい技術やモノが広がるとき、初めは適切な使い方がなされず混乱を起こします。とはいえ、多くの場合は使われていくうちにマナーができ、使い方はどんどん最適化されます。

 例えば1990年代の初め、携帯電話が一般に広がりましたが、当時は電車の中で大きな声で話す人がいたり、めちゃくちゃだったんです。いまでは電車内で電話をする人はほとんどいなくなりましたよね。

 顧客の声が鉄道会社などの事業者に届き、事業者が呼びかけ、共通認識が広がって、マナーとして定着する。使い方が日本文化、そこに暮らす人々の価値観に最適化されていくわけです。

(写真:Sangyun Kwon / EyeEm)

 前回お話したパンやおまんじゅうの事例とも近いですよね。

 これがエスカレーターの場合、使い方が非合理的なまま変わっていない。最適化されていないんです。これは珍しい例で、非常におもしろい。

──具体的にエスカレーター片側空けのどのような点が非合理なのでしょうか。

 まず、エスカレーター片側空けは取扱説明書に従っていません。そもそもエスカレーターは歩くように設計されていないんです。

 例えば片手、片足が不自由な方は、特定の側に立つことが大変です。幼児を連れた場合も、親子が段違いに乗らなければならないのは危険ですよね。

 衝撃で急停止する場合もありますし、歩く人、駆け降りる人とぶつかっての転倒事故も数多くある。あんな金属製のギザギザなところにぶつかったら、大怪我になりますよね。

 これって例えるなら「電子レンジに洗濯物を入れて乾かそうとしたら火事になってしまった」と同じような話です。取扱説明書の通りに使わなければ、使用者にリスクがある。日本エレベーター協会の公式サイトからも、同様の注意喚起がなされています。

 「歩く方がはやくなるんだ」とおっしゃる方もいますが、実は2列に並んだ方が輸送量は上がるんです。

 イギリスの地下鉄駅で行われた実験があって、7日間「2列で立ってください」と呼び掛けをした結果、輸送量が30%上がったと。考えてみれば当然ですよね。

 歩きたい方は自分だけがはやくなりたい、ある種自分勝手なわけです。これが文化として容認されているのは不合理ですよね。

「邪魔な人はよけていなさい」の文化

──納得です。では、なぜそんな変な文化・使い方が広がったのでしょうか。考えてみると、当たり前のように受け入れられていることが不思議です。

 エスカレーター片側空けが始まったのは、高度経済成長期真っ只中の1960年代末でした。いわば効率優先・強者中心の時代に生まれた文化。

 この時代の価値観では合理的で、むしろ推奨されていたわけです。

 人間社会で起こることには理由がある。文化が生まれる背景には、その時代の人々の価値観が存在します。

 分かりやすい例で言えば、歩くはやさや食べるはやさ。かつて大阪の人は「世界一歩くのがはやい」と言われていました。香港も非常にはやいと言われていて、この2都市は「商人の街」という共通点があるんです。

 先んずれば制す。はやいことは良いことだと。歩くはやさに、そういった価値観が反映されているわけです。

 食事に関しては、日本だと1960年代、70年代初めを過ごした人が非常にはやい。高度経済成長期ですね。大量生産大量消費の時代、東海道新幹線ができたり高速道路ができたり。はやいことはいいこと、遅いことは悪いこと、という価値観です。

(写真:Three Lions / 特派員)

 そういった1960年代の終わり頃、大阪で片側空けが呼び掛けられました。東京ではバブル景気の1989年頃に自然発生しました。

 有名なリゲインのCM「24時間戦えますか」が流れたのもこの時代です。テレビのコマーシャルは時代の価値観を反映していておもしろいですよね。

 世界に目を広げると、最もはやく片側空けが始まったのはロンドンだと言われています。第二次世界大戦の最中、1943年頃に呼びかけられたと。

 戦時体制は、最大限効率を高めて、弱者を排除して戦争に挑むような状況です。エスカレーターの上でももっとはやく移動しなければいけないから、邪魔な人はよけていなさいと呼びかけられた。

 いずれにしても、効率一辺倒で弱者を考慮しない価値観で成り立っていた時代に、エスカレーター片側空けの文化ができたわけです。

妖怪「いそがし」にとりつかれている

──価値観の違う前時代にできた文化を、そのまま使っているんですね。

 まさにその通りです。

 バブル以降、日本社会の価値観は大きく変わりましたよね。もっと多様性を重視した方がいい、弱者のことも考えた方がいい、効率やお金も必要だけど心豊かに暮らすことが大切だよねと。

 パワハラ、ブラック企業など、合わなくなった前時代の文化を批判する言葉が作られたり、LGBTQなど新しい言葉が生まれたりして文化が最適化されてきました。

──それでもエスカレーター片側空けが変わらないのはなぜでしょうか。

 「日本人は自動化しすぎている」ということがあるかもしれません。

 私は長年ニュージーランドのクライストチャーチの参与観察(※)を行っていて、学生を連れて行くことも度々ありました。そして2000年頃に訪れた時、学生が「日本人は自動化しすぎている」と言っていたんです。

※参与観察...調査者が被調査者集団の内部で長期にわたって生活し,その実態を多角的に観察する方法。

 日本とニュージーランドは文化や環境が大きく異なっているので、そこで暮らすことで日本のことを客観的に見ることができる。すると、おかしいと感じることがいくつか生まれるんです。それが「自動化」だった。

 ニュージーランドに住む彼らは、常にゆとりがある暮らしをしていました。

 仕事は16時半頃に終えて、家族団欒で食事をして、22時ごろになったら眠る。土日はホームセンターやスーパーで1週間分の買い物をして、家族でガーデニングをしたり、教会に行く。

(写真:Sean Gallup / スタッフ)

──家族で過ごす時間が長いんですね。

 そうですね。日本では、みんなで一緒に夕食をとるなんて、「そんな時間に帰れないよ」という人が大勢いると思います。これは社会のあり方が違いますね。

 一方でゆとり≒遅さにもつながっていて、仕事の段取りが全然されなかったり、予約していたはずのお店に入れなかったり、雨が降っても傘をささず止むまで待っていたり。それでも何とかなるよねと。

 日本とどちらが良いという話ではないんですけど、忙しくしていると、うらやましく思うことがあります。

 例えばニュージーランドでは、バス停に名前が無く、車内放送も無くても、他の乗客や運転手が気軽に教えてくれます。

 乗るとき、降りるときに運転手に挨拶するのも当たり前ですが、タクシーでも助手席に座り、運転手と会話を交わします。自動ドアも自販機もあまりありませんが、ドアは前の人が押さえて待ってくれますし、店に入るときに挨拶するのも当たり前です。不便だけれど暖かい社会なんです。

 3週間もニュージーランドにいって帰ってくると、効率やスピードよりも、もっと人とのコミュニケーションが必要だと感じる。ここに、変わらない価値観に対するヒントがあるかもしれません。

──どういうことでしょうか。

 彼らを日本に招待したこともあって、その時は、すごいすごいと喜んでいました。当時の日本はハイテク大国で、どこに行っても自動ドアがあって、自動販売機があって、バスが何分後に来るかまで教えてくれる。

 でも日本人の学生たちからすると、そんなに単純じゃないよと。「日本では何でもかんでも自動化して、進歩だと思っている」と。

 バスに乗る時も、日本ではピッとICカードを押して、あとは停まりたいバス停の前でボタンを押すだけ。会話はなく、相互の関係が築かれることはほとんどありません。電子音の案内が車内に流れているだけです。

 自動販売機だって、電子音で「お買い上げありがとうございました」と言っていたり、不気味と言えば不気味です。そんな環境で、他者のことを想像して、行動を変えるのは非常に難しいだろうと思いますよね。

 自動化って、言い換えれば効率化です。行動が簡略化されて、コミュニケーションも減る。

 高度経済成長期の「24時間働けますか」とまではいかないまでも、まだまだ日本人は目の前の効率にとりつかれているのかもしれません。

 そういった環境に囲まれているから、行政や事業者が強く行動を起こさない限り、コミュニケーションをして衝突を回避することが少なくなり、エスカレーター片側空けが変わらない。

 本当ならば、エスカレーターで言えば、はやさよりも他者を思いやる心を重視していく方がいいですよね。はやさを考えても実際に輸送量は立ち止まる方が上がるわけですから。

(写真:d3sign)

──効率にとりつかれている...そうかもしれません。

 私は妖怪「いそがし」なんて呼んだりしますが、もう退治した方がいいと思いますよ。

 まとめますと、まずエレベーター片側空けは不合理なまま変わらない変な文化であると。高度経済成長期やバブルの時代に生まれたもので、現代の価値観には合っていない。

 心の豊かさや多様性を求める時代、成熟社会に移り変わっている中で、前時代的なエスカレーター片側空け文化は変わるべきだということです。