ついにこの日を迎えてしまいました……。我が法政二サッカー部監督、中神保彦先生が2月26日、88歳で天国へ旅立たれたのです。
高校時代の中神先生は、ピッチ内では怖い監督でしたが、しかし、父親と生活していない私にとっては、父親のような存在でした(と勝手に思っていました)。
中神先生との出会いは、私が中3の10月でした。
当時、私は一人、進路に悩んでいました。中3の夏、運よく全国大会で準優勝になっていくつかの高校からオファーがありました。
当初、私はサッカーの強豪校・桐蔭学園に行く予定でした。練習参加した際、現・川崎フロンターレ監督の長谷部茂利さんから「サッカーをするに良い学校だよ」と声をかけていただいたり、当時の監督・李国秀さんからも合格をいただきました。しかし、即決できない自分がいたのです。
なぜだろう。自問自答を重ねても答えが出ない、というか、モヤモヤが消えない……。1か月、桐蔭学園への返事をする期限を迎えます。
私が出した決断は「NO」でした。
「すみません、桐蔭学園さんにお断りしていただいてよろしいでしょうか」
気づけば、チームメイトで進路先を決めていたのは自分だけに……。中学のクラブチームの監督に「困ったやつだな」と言わんばかりの呆れ顔をさせてしまったのです(本当にすみません)。
その直後、突然オファーがあったのが法政二でした。
練習参加を終えたあと、サッカー部監督の中神先生から声をかけていただいたことは今でも強烈に覚えています。
「どうだ!うちで一緒にサッカーしようや!」
身長180センチ超え、コワモテの顔にイカついサングラス、足元は白いエナメル革靴……。ヤ●ザ映画のスター・菅原文太のような風貌に、一瞬ひよる自分。
ダミ声がかった言葉の中に、しかしどこかとても”優しさ”を感じ、次の瞬間、「この人について行こう!」と決めたのです。
高校時代は、中神先生からゲンコツをもらったりビンタを食らったりしたのは日常茶飯事でしたが、当時「風呂なし生活」を送っていた私のことを気遣って、「俺のところで下宿したらどうだ? ご飯もたくさん食べられるぞ!」と声をかけていただたとき、「ああ、この高校を選んでよかったな」と思ったものです。
肝心のサッカーは、高校3年間で目標としていた全国大会出場は叶いませんでした。恩返しはできていないのは心残りですが、先生と出会えたことは、私にとって最高の財産になっています。
卒業後は、母校の応援に行ったりお正月にご挨拶に行ったり、お会いするたび中神先生の笑顔を見るのがとても楽しみでした。
しかし、その笑顔はもう見ることができません。とても寂しいですが、偉大な恩師・中神先生、本当にこれまでありがとうございました。いつか天国でまた笑顔でお会いできることを楽しみにしています!
