起業、独立、複業など「自分軸」に沿った選択をすることで、より理想にフィットした働き方を手に入れようとした女性たちの連載「INDEPENDENT WOMAN!」。第8回は、自身もフリーランスとして様々な仕事を複業し、その経験からフリーランスの支援を行うプロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会を立ち上げた平田麻莉さんが登場。前編では、自分軸に出会うまで、そして自分の名前で仕事を得ていくまでの過程を伺います。

文=吉田可奈 写真=小嶋淑子

平田麻莉 プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会代表
慶應義塾大学総合政策学部在学中の2004年にPR会社ビルコムの創業期に参画し、戦略的PR手法の体系化に尽力。その後大学院に進み、ビジネス・スクール委員長室で広報・国際連携を担いつつ、同大学大学院政策・メディア研究科博士課程で学生と職員の二足の草鞋を履く。出産を機に退学、専業主婦を体験。現在はフリーランスでPRプランニングや出版プロデュースを行う。2017年1月にプロボノの社会活動としてプロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会設立。https://www.freelance-jp.org/

広報の現場で知ったの情報のもつ力

 フリーランスとして働く人たちの環境整備や未来を考える「プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会」代表の平田麻莉さん。組織に属さず働いている人々の声を拾い集め、政府やメディアに届け、支援策を講じる。

 いまや大きな役目を果たしている彼女自身も長年フリーランスとして仕事を請け負ってきた。キャリアのスタートは“PR”という広報の仕事。広報を選んだのには、理由があった。

「大学時代は報道に興味があり、テレビ局でアルバイトをしていたんです。当時、イラク戦争が勃発し、通信社から送られてくる戦争の映像をひたすら記録するという仕事を担当しました。

 並んだモニター画面に中東の通信社アルジャジーラと、アメリカの通信社AP通信から送られてくる映像がライブで流れているんですが、ふたつの会社が流している映像は、同じ戦争のものなのに全然違うんです。どちらもそれぞれの国が見せたい映像だからこそ。まず、そこに大きなショックを受けたんですよね」

そこで出会ったのが『戦争広告代理店』という一冊の本。

「この本を読み、戦争が起きた時に、戦略的に世論を味方につけるために、広報が深く関係していることを知りました。そこで、 “想いがある人の情報を戦略的に届ける”という仕事に興味を持ち、広報の仕事をしている先輩にOB訪問をしました。

 その先輩の知り合いということで、ちょうど当時創業するタイミングだったPR会社ビルコムの社長も同席してくれて、ほぼ押し掛ける形でインターンとして参画することになりました」

 そのままビルコムに就職し、ここでさまざまな企業のPR活動に従事した。広報と聞くと、多くの人に自社の商品を知ってもらう仕事と想像する人も多いが、彼女が言う広報とは、商品の宣伝にとどまらない。

 メディアや行政、企業などあらゆるステークホルダーに働きかけ、新しいトレンドを作ったり、人々のマインドや、ライフスタイルを変えたり、新しい価値に光を当てていくもの。

 たとえば、彼女の仕事の代表作ともいえる“家事代行”。セレブのものだという思い込みを変えることに一役買った。

「当時はセレブなど、一部の人が使うと思いこまれていた家事代行を、どうやって一般層の人たちが使うものにしていくかということを戦略的に考え、PRしました。今は都心の共働き世帯ではそれなりに一般化したと思っています」

有識者の責任の大きさに気付き選んだのは大学院進学

 様々なPR業務を経験する中で、その奥深さが見えてきた。

「ずっと広報の仕事をしていると、地震、火事など天災の情報以外は、誰かが意図的に流している情報だという構図が見えてくるんです。その構造が分かっている人や発信力のある人はすごく責任重大。だからこそ、その構造をいい方法で使いたいと思うようになりました」

 次第に、広報ではなく、別の立場から新しい価値観を提唱することができないかと考えるようになった。

「PR戦略の一環として、大学の先生を有識者として取材をしてもらうようにメディアに働きかけることがあるんです。

 当時は、“株主利益を追求することが企業の是です”と、偉い経営学者の人たちは盛んに発言していた。そうして生み出された株主至上主義的なトレンドにリーマンショックで疑問を抱き、経営学者の責任の重さに気付いたんです。

 だから、そうではない方向にトレンドが変われば、世の中の会社がその方向に追従するんじゃないかと思い、株主至上主義に代わる経営を研究し、トレンド化していきたいと考えました」

 そこで経営学の大学院に進学し、今で言う“SDGs”やESG投資、ソーシャルビジネスなどを研究する道を選んだ。

 

偶然始まったフリーランスという働き方

 修士課程から博士課程へと進学し、そのまま研究者になろうと思っていた平田さん。フリーランスで様々な仕事をするようになったのは偶然の積み重ねだという。

「修士時代に国内ビジネススクールを盛り上げるJBCCというイベントをゼロから立ち上げ、メディアに出たりしていたんです。それを見ていた大学の恩師から、職員として大学の広報もやってほしいという依頼をいただいて。本分は学生なので、業務委託という形で受けることにしました」

 ここから業務委託、かつパラレルキャリアというフリーランスPRの道が始まった。その後、博士課程の1年目に1回目の結婚。間もなく妊娠、出産したものの、卵巣がんの疑いが発覚し、人生の大きな選択を迫られることとなる。

「いまから集中して論文を書こうと思っていたのに、一体どうなっちゃうんだろうと悩みました。 “卵巣がんかもしれない”と聞いて、“もし人生に限りがあるのなら、家族を大事にしよう”と思ったんです。それで大学院を辞め、子育て第一で専業主婦として過ごす道を選びました。大学を辞めたとSNSに書いたら、暇だと思われたんでしょうね(笑)。色々な方から手伝ってほしいとお話をいただくようになり、卵巣摘出の手術が成功し、子どもが2歳になった頃からフリーランスPRとして様々な会社の業務を請け負うようになりました」

大事なのは、なぜ働いているのかという軸を持つこと

 実は平田さん、フリーランスのPRとして自分の名刺もホームページも、一度も作ったことがないと言う。さらに、驚くことに営業もしたことがないんだとか。

「それまでの繋がりがある方から相談を頂いて、相談に乗っているうちに仕事になることの連続で今に至っています。業務委託としてその企業の一員として名刺を持たせていただくことが多いので、自分の名刺は持ったことがないんです」

 フリーランスとして仕事を続けていくための秘訣を聞くと、「基本的に、フリーランスは半径5mの人の信頼を得ていられれば、食べていくことができるのではないかと。なので、近しい人たちや目の前の仕事を大切に、信頼関係を積み上げていくことが、何よりも大事なことだと思います」という。

「幸い、私は人のご縁に恵まれて、嫌な思いをしたことは片手で数えるほどもないんですが、依頼されたことをなんでもやらなくちゃいけないという気持ちで向き合うと、御用聞きのようになってしまうことも。収入の不安から、来た仕事をなんでも受けていると、キャパオーバーになり、結局品質も下がり、クレームが生まれたり、ただこなしているだけになってしまう。もちろん、生活のために働くのは1つの大事な軸だとは思いますが、そもそもなぜ自分は働いているのか、どういう仕事をしていきたいのか、どうありたいのかという軸はきっちり持っていくことが大事だと思っています」

 後半では、フリーランス協会を立ち上げた経緯やフリーランスという働き方に関する自身の思いを語ってもらう。