甲子園が開幕。注目カードだった横浜対沖縄尚学は早々にチケットが完売するなどいまだその人気は衰えない。

 高校野球の魅力は、ひたむきさにある。彼らと指導者の日常はどんなものか。――惜しくも連続甲子園出場が途絶えた福島県の名門高校・聖光学院の名将・斎藤智也と各年代の選手たちの日々に迫ったノンフィクション『負けてみろ。』(田口元義・著)からそのヒントを探る。

 本稿は斎藤が紆余曲折を経て初めて聖光学院の監督に就任した年――赴任してから実に12年が経っていた――の話。

甲子園が開幕。高校野球は大きな転換点を迎えるが、関わる選手、指導者の熱量は変わらない。なぜ勝利を目指すのか。チームはどうまとまるのか、選手の...続きを読む

敗戦後の態度に見た、チームの意識を変えるチャンス

 野球そっちのけで本を心に刻み続けて一年が経とうとしていた。

 自らの経験、数々の書物から得た知識を選手たちに落とし込むべく、練習後に必ずミーティングを行った。斎藤が共感した本の一説をコピーして配布する。

 今のチームと照らし合わせながら、言葉の意味を丁寧に、一語一句、伝えていく。斎藤の〝説法〟は長かった。短くても一時間は当たり前。長ければ二時間、三時間の日だって珍しくはなかった。

 2000年の秋から新チームの主将となった村上拓也は懐かしむように話す。

「長かったですね、本当に。忍耐力を鍛えるというか、『ミーティングを聞く』という鍛錬みたいなものだったと思います。野球の技術的な話というよりは『人として』とか『不動心』の意味とか、そういう内容がほとんどで。

 毎日同じ話を繰り返しされていくうちに、監督さんが伝えたいことがいかに重要かっていうことに気づくんです。心と体で理解できるようになるんですね。だから、日に日にみんなの顔つきが変わってくるんです」

 連日のミーティングがチームに浸透し始めた村上たちの世代で、斎藤は大勝負に打って出た。

 2000年の9月。聖光学院は福島県県北地区の予選で優勝し、第一代表として臨んだ秋季県大会初戦で、相馬高校に1対4で敗れた。相手は相双地区の敗者復活戦を勝ち上がった第三代表。

 力関係で言えば聖光学院に分があった。試合前のミーティングでは、斎藤は選手たちに相馬対策を明確に伝えていた。「相手の弱点を突き、粘り強く戦おう」。そんな具合で選手たちを送り出したが、選手の力が及ばず敗戦。しかし、斎藤にとってそれは想定の範囲内でもあった。

 試合後、いつものようにミーティングを行うと、斎藤は違和感を覚えた。前日までなら威勢よく「はい!」と返事をしていた選手たちからほとんど反応がない。敗戦のショックというより、監督への不満。彼らの表情を見ればすぐ理解できた。

 やっぱりそうきたか──斎藤は選手だけで行うミーティングが終わると、主将の村上と副主将の大河内靖之を呼び、努めて穏やかな面持ちで選手たちの心情を突いた。

「今日のミーティングは空気がおかしかった。選手たちの間でなにかあったんじゃないか?」

 一瞬の沈黙の後、村上と大河内の鼻をすする音が聞こえる。

「監督さんが試合前に言っていたことと、試合でやっていることが違っていて……。サインだって、出すって言われたのにあんまり出してもらえなくて……」

 斎藤が内心でほくそ笑んだ。勇気を振り絞り、涙ながらに訴える選手たちの実直さに喜ぶ親心のようなものだった。とは言っても、この時の斎藤に選手を慰める気はなかった。チームの意識を変えるチャンスだと思ったからである。

「村上と大河内を泣かせやがって!」

 斎藤は烈火のごとく選手たちを怒鳴り散らした。

「試合に負けたら俺のせいにする、か。確かに、俺の采配ミスで負けた。ああ、認めるよ! でも、実際に野球をして勝てなかったのはお前らだよな。てめぇらの非を認めねぇで、全部を人のせいにして責任転嫁すんのもずりぃよな。いい根性してんじゃねぇかよ! 俺はクビになったって構わねぇよ。でも俺は、今すぐてめぇらをクビにすることもできんだからな。どっちが先に辞めるかだけだな。勝手にしろ!!」

 斎藤は「おめぇらのことなんて知らねぇ!」と吐き捨て、ミーティングをあとにした。そして、そのまま帰路に着いた。事実だけを捉えるのであれば、職務を放棄したのである。

 

 

田口元義・著

2019年に発売された隠れた名作、増補新装版として復刊。95連勝、13年連続甲子園出場、春夏甲子園31勝……誰もが知る高校野球の名門校・聖光学院。福島で圧倒的な力を示すチームを率いるのは斎藤智也。人間を大事にし、全身全霊でぶつかる熱量を持った指導は唯一無二。部長・横山は、戦略家として次々と新しいシステムを提案し続けている。聖光学院を取り巻く人々の高校野球ひいては選手個人への思いには、どこにもないオリジナリティと、心を打つ物語が詰まっている。斎藤・横山両指導者だけでなく、元監督から現役の選手まで、圧倒的な取材量でまとめあげた一冊。新たに2019年から現在までを大幅加筆している。

 

 

どんなに嫌なことがあっても他人のせいにしないで、動じない心を養う

 だがそれも、青年監督の狙いだった。

「村上と大河内が、涙を流しながら本音でぶつかってくれた。チーム全体として跳ねっ返りはなかったんだけど、俺のなかで『よし、いける! こっからだ』って感触があったわけだよ。こっから、本当のミーティング、教育が始まんだなって」

 涙を流しながら選手の気持ちを訴えた村上は、斎藤が帰った後、引き継ぎを頼まれていた部長の横山から諭すように問いただされたという。時計の針は、23時を過ぎていた。

「お前ら、そんなんでどうする。負けて、人のせいにして終わりか? 死ぬ気でやらないと甲子園には行けない。お前たちより監督のほうがそれをわかっているから怒ったんじゃないか」

 斎藤がミーティングを〝ボイコット〟したのは、今日までその日だけである。聖光学院の経営者からは「お前あの時、職場放棄したよな」と、その後、10年近くは酒の肴にされたと斎藤は笑うが、そんなつもりは微塵もなかった。

 斎藤は、はっきりと自らの信念を口にした。

「俺は、人を捨てたことがないから」

 村上たちの世代が三年生となった2001年夏。聖光学院は福島県大会の決勝戦で県の高校野球史に刻まれる奇跡の大逆転劇を演じ、初の甲子園出場を果たした。だが、念願の全国大会では初戦で0対20と歴史的な敗北を味わい、奈落の底に突き落とされた。

 天国と地獄。これまでの歩みをたどれば、斎藤も聖光学院も、その繰り返しだった。

 07年から19年まで続いた、13年連続での夏の甲子園出場は、名門中の名門、PL学園や横浜高校、大阪桐蔭高校ですら成し得ていない戦後最長記録の偉業である。にもかかわらず、聖光学院は一度も甲子園で優勝していない。

 それが天の配剤であるかのように、チームは勝つたびに謙虚になり、負けるたびに自らの足元を見つめ、出直す。聖光学院とはそんなチームだ。まだ道半ば。我、いまだ木鶏たりえず、である。

 斎藤という男は、野球の論理的な話題よりも、人間の生き様、人としての真理を追い求める自分の話になると眼光が鋭くなる。そして、饒舌になる。

「初めて甲子園に出た時だって、4000校くらいあるなかで『一番、研ぎ澄まされたチームを作れたんじゃねぇかな?』って手応えを摑んでチャレンジしたけど、0対20で負けた男だからね。

 でも、どんなに嫌なことがあっても他人のせいにしないで、動じない心を養うっていう『不動心』の根幹を築けたプライドはある。毎年『日本で一番、研ぎ澄まされたチームを作りたい』と歩んでいるけど、それは俺だけの力じゃ無理なんだ。毎年、新しい生徒が入ってくる。誰ひとりとして同じ性格のヤツなんていねぇ。

 それでも、13年連続で甲子園に出させてもらったのは、横山部長はじめスタッフたちのおかげでもあるんだ。みんな、勝つことを前提に生徒たちと接してねぇから。その聖光学院野球部って幹がブレてないから」

 斎藤は野球部の選手たちを「神様からの預かりもの」だと表現する。近年の高校野球は「人間教育」を標榜することが当たり前のようになっているが、それは学生スポーツに「品格」を求める世の中になったからだろう。

 聖光学院も人間教育を重んじる。人としての品格を高めるべく選手たちを指導する。だからといってスマートに育てようとはしない。心の内から沸き起こる本性を解放させ、正しき道へと導く。

 そのために斎藤たち指導者は愛情と情熱を注ぐ。自分の弱みも未熟さも、すべてをさらけ出しながら、日々、高校生に戦いを挑む。そこには贔屓もなければ差別もない。存在しているのは大人と子供ではなく、人間だ。

「監督だからっておじけづいてんじゃねぇ!」

 聖光学院のグラウンドにはいつも体温が宿る。教育とは生易しいものではない。生き物であり、人と人との勝負である。斎藤は拳を握り、叫ぶように訴える。

「世の中にはいろんな教育論がある。でも、俺は声を大にして言いたいね。『教育っていうのは、言葉で片付けられるほど甘くねぇだろ!』って」(続く)

95連勝、13年連続甲子園出場、春夏甲子園31勝……。誰もが知る高校野球の名門校・聖光学院。聖光学院と斎藤智也が紡いだ約30年の歩み