プロ野球選手を目指して青春を捧げた野球。成績優秀で学費免除になるほど打ち込んだ法学の勉強。そして芸人活動の休止。
ティモンディの前田裕太さんは、人生の節目ごとに「やめる」という大きな決断を重ねてきた。変化を恐れず、新たな道を選び続けてきた。
一体その決断の裏にはどのような葛藤があったのか。3つの転換点を軸に、これまで歩んできた道のりを聞いた。
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全部かけてたものをやめる決断は、すごい大きかった
――まず、ご自身のこれまでの歩みを振り返っていただけますか。
前田裕太(以下、前田) よく言えばいろんなことに挑戦してきた、悪く言ったら右往左往してフラフラしているみたいな感じです。
自分が人生の中で「やめる」と決断した大きなものが3つあって、まず野球をやめること、次に弁護士を目指すのをやめること、そして芸人活動の休止です。響きがめちゃくちゃ悪いですけど(笑)。
――最初の「野球をやめる」という決断から聞かせてください。
前田 小学校のころから野球が肌に合っていて、良くも悪くもそこそこできちゃったんですよ。
全然うまくできなかったら「向いてない、やめよう」ってなるきっかけがあったと思うんですけど、あれよあれよと高校まで「俺はプロ野球選手になるんだ」と野球に捧げていました。
100か0か、プロ野球選手になれなかったらおしまいだっていう感じで、すべてを捧げた状態で続けていましたね。
――どうして大学でやめようと思ったのですか。
前田 才能の有無とか体格の問題もあって。僕は175センチなんですけど、180センチ以上の人が基本的に多い中で、全然ちっちゃいなあと。いろんなものが相まって、プロ野球選手にはなれないなと思いました。
プロ野球選手にならなくても野球を続ける道はあったのに、仕事にできないなら意味がないって思ってしまったんです。体重全部かけてたものをやめる決断は、僕の中ですごく大きかったですね。
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――このやめる決断はいつから考えていたんですか。
前田 ちょうど大学に入るタイミングで東日本大震災があって、物理的にも自分と向き合う時間が増えました。その2、3カ月くらいの間、「プロ野球選手になれないのに続ける意味はあるのか」とずっと考えていましたね。
今振り返ると、自分は野球が好きだったのに、自暴自棄になってやめてしまった部分もあったと思います。
野球って相手と勝負する競技なので、自分の能力の足りなさを突きつけられる場面が本当に多いんです。もしかしたら、負け続けることに疲れてしまっていたのかもしれません。
続けていたらプロ野球選手になれた可能性だってあったと思います。でも当時は、「こんなに時間を費やしたのに仕事にならないなら、もうやめてやる」という気持ちのほうが強かったですね。
――野球をやめてから、法律の世界へ進んだきっかけは何ですか。
前田 進学した大学でいい教授と巡り合えたのが大きかったと思います。法律事務所のインターンシップに行って裁判の手続きを学んだり、傍聴にも足を運んだりしました。
やっていて楽しいなと思うものを4年間続けていたら、教授に「大学院に行ってみたら」と勧められて、大学院に進んだという流れです。
ポジティブな「やめる」決断
――大学院で弁護士を目指す中で、なぜ芸人の道へ?
前田 大学院に入るタイミングで、今の相方・高岸から「芸人にならないか」と声をかけてもらったんです。高岸がサンドウィッチマンさんの復興支援活動を見て、この人たちみたいになりたいと思って僕を誘ってくれました。
僕としては大学院に行きながらだったら全然いいよ、くらいの感覚で始めました。自習室に高岸を呼んでネタを書いたりしながら続けていたら、楽しくなってきちゃって(笑)。
――弁護士を目指すのをやめることへの葛藤はありましたか。
前田 野球のときとは違って、弁護士も芸人も何歳からでも目指せるものなんですよ。だから今楽しいと思えるほうを仕事にしたほうがいいんだろうなと。弁護士の面白さは分かったうえで、お笑いには野球にはなかった楽しさがあると感じていました。
全員が60点の「面白かった」でも正解だし、100人に1人だけが100点をつけて、残り99人はピンとこなくても、それも正解なんです。
正解がひとつじゃない世界が面白かった。そういう世界でご飯が食べられるようになったら、すごく面白いんじゃないか。そんなワクワク感がありましたね。
野球をやめたときとは違う、すごくポジティブな「やめる」決断でした。
1992年8月25日生まれ、神奈川県出身。済美高校から駒澤大学を経て、明治大学法科大学院中退。2015年1月に高岸宏行とティモンディを結成。著書『自意識のラストダンス』(左右社)を刊行。
後編へ続く
