過去の人々が見た景色や感じた空気を追体験する新しい旅の形「トレースツーリズム」。地図やガイドにも載らない、街歩きの面白さを『Y字路はなぜ生まれるのか?』(晶文社)の著者・重永瞬さんが解き明かす―新連載がスタートします!
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京都府出身。京都大学大学院文学研究科地理学専修に在籍(博士課程)。専門は歴史地理学。縁日露店の歴史について研究するかたわら、まち歩き団体「まいまい京都」でツアーガイドを務める。 著作に『Y字路はなぜ生まれるのか』(晶文社)、『統計から読み解く色分け日本地図』(彩図社)など。 奈良新聞にて連載「大和参道紀行」を担当(2024年6月~2025年6月)。
ブラタモリ復活!
2024年2月14日、とても悲しいニュースが目に飛び込んできた。
NHKの人気番組「ブラタモリ」のレギュラー放送が終了するという知らせである。
長年のブラタモリファンだった私は途方に暮れた。
ところが、そんな私の悲嘆をよそに、同年11月には再びブラタモリが特番で復活することになった。それも、京都から大阪までの街道をタモリさんが歩くという内容である。京都在住の私としては、願ったり叶ったりの話であった。
その放送内容を見て、私はさらに驚いた。私のよく知る“とある街角”が取り上げられていたのである。
それは、「髭茶屋追分」という分かれ道である。
江戸から京都に至る「東海道」と、かつて秀吉の伏見城があった伏見をこえて大坂にいたる「伏見街道」が分岐する地点だ。

私は昨年、『Y字路はなぜ生まれるのか?』(晶文社)という本を出版した。「Y字路=鋭角な分かれ道」の楽しみ方を解説するマニアックな街歩き本だ。
この本のなかで、「髭茶屋追分」を取り上げていたのである。まったく観光地でもなんでもない見知った街角がテレビに登場し、とても驚いた。
一度は終了したブラタモリだが、嬉しいことに、今年の春からスタイルを変えて復活することになった。なんでも、新シリーズのテーマは「街道旅」なのだという。
タモリさんが昔の街道を歩きながら、街角に残された歴史の痕跡をなぞるという内容だ。
“街歩き”はなぜ人気を得たのか?
街道を歩くという趣味は、ブラタモリという全国放送のテーマになるくらい、すっかり市民権を得たといってよいだろう。
本屋に行けば、宿場町の街並みや道ぞいのグルメなど、街道の楽しみ方を伝えるガイドブックがたくさん売られている。
では、なぜ街道歩きはそこまで人気なのだろうか。
街道歩きの一番の魅力は、「昔の旅人の気分を味わえること」にあると言えるだろう。
鉄道やクルマで一直線に目的地に向かうのではなく、あえて歩いてみることで、その道中も旅の楽しみになるのだ。
東京から京都までの旧東海道も、新幹線ならば2時間弱で到着するが、歩いて行けば2週間はかかる。昔の旅人の苦労は歩いてこそ理解できるし、東海道を3~4日で走ったという飛脚のすさまじさも実感できる。
さらに、街道では歴史の痕跡をいくつも見つけることができる。
宿場町を歩けば、かつて旅人が泊まっていた宿や、行き先を示した道しるべが今も残されていたりする。

言いかえれば、街道歩きの楽しさは「なぞる」ことにある。
あえて歩いてみることで、かつての旅人が見ていた風景や身体感覚を追体験することができるのだ。
この「なぞる」楽しみを、もう少し一般化して考えてみよう。
そもそも、観光とは多かれ少なかれ「追体験」の要素を含む。テレビでよく見るあの街へ、芸能人が訪れたあの店へ、友人が絶賛していたあの宿へ……他人の経験を「たどる」ことは観光の大きな動機となりうる。
もちろん、そうではないあり方も考えられる。
ガイドブックに載っていない、まだ誰も行ったことのない場所へ行きたいという人もいるだろう。しかし、それは観光というよりはむしろ「旅」や「探検」と呼ぶべきものだ。
一般的な観光は、名所という「点」を「つなぐ」観光である。見たいのは目的地だけであり、そこに行くまでの道のりは短ければ短いほどいい。
一方、街道歩きは街道という「線」を「なぞる」観光である。歩くことそのものが楽しみであり、道のり全体が観光地になる。
こうした「なぞる」観光を、「トレースツーリズム」と名づけてみたい。
トレース(trace)は、動詞ならば「なぞる」ことを指し、名詞ならばなぞられる「痕跡」を指す言葉だ。そのほかにも、「踏み跡」や「発見する」といった意味もある。
「なぞる」対象は街道だけに限らない。
過去の痕跡をなぞり、移動そのものが目的となるような旅。これが「トレースツーリズム」の定義だ。
このように考えると、街道歩きだけではない、さまざまな「なぞる」楽しみが見えてくる。
「参道」をなぞると見えてくる風景
「トレースツーリズム」の実践として私がよくやっているのは、「参道」をなぞる旅だ。
参道とは神社やお寺に向かう道であるが、その道のりは時代によって異なる。
鉄道やクルマが登場する以前には、当然ながら人びとは歩いて社寺へ向かっていた。当時の社寺の参道は街道からのびる、とても長いものだった。
しかし、近代以降に鉄道が開通すると、駅からの参道が新たに生まれる。
これによって、街道からのびていた参道は衰退することとなる。さらにクルマが普及すると、社寺のすぐそばに駐車場が作られ、参道は社寺境内の中だけで完結するものとなってしまった。

以上はあくまで一般論であるが、こうした図式が当てはまる社寺は多い。このように近代以降に参詣路から外れてしまった道を「なぞる」と、普通に参拝をするだけでは見えてこない風景が浮かび上がってくるのだ。
出雲大社の参道の変遷
一例として、島根県にある出雲大社の参道を見てみよう。
江戸時代には出雲大社の門前町は杵築(きづき)と呼ばれ、旅人の多くは松江からのびる「松江杵築往還」を通って参拝をしていた。
出雲大社の参道と松江杵築往還は現在も出雲大社の大鳥居がある「勢溜」にて合流しており、勢溜より東側には「馬場」、西側には「市場」という二つの町があった。

「2万5000分の1地形図『大社』(昭和9年修正・
1912(明治45)年、杵築には官営鉄道の大社線が引かれることになるのだが、このとき、「馬場」と「市場」のあいだで駅の誘致合戦が起こった。

その結果、駅はどちらの地区でもなく、中間地点に置かれることとなった。そして、翌年には新たに設置された大社駅から出雲大社に向かってのびる新参道が引かれた。


これによって、「馬場」と「市場」はどちらも新参道から外れてしまった。要は共倒れである。1930(昭和5)年に開業した一畑電気鉄道の大社神門駅(現出雲大社前駅)も、新参道沿いに設置された。

戦後、クルマが普及すると大社線の利用者は減少し、1990(平成2)年には国鉄大社駅が廃止されることとなった。
現在、出雲大社に向かう参拝客の多くは、一畑電気鉄道の出雲大社前駅から歩くか、クルマで出雲大社近くの駐車場まで直接向かうルートをとる。
すなわち、出雲大社には、江戸時代に使われた松江杵築往還と、平成に入るまで使われた国鉄大社駅からの道という、2つの「旧参道」があるのだ。
これらの旧参道は今では一見ごく普通の道になっているが、かつての参拝客の足どりを想像しながら歩くと、各所にその痕跡を見つけることができる。

他にもあるさまざまなトレースツーリズム
このように、昔の人びとの足どりを想像しながら歩くことは、風景の見え方を変えてくれる。
松尾芭蕉の『奥の細道』のような紀行文の記述をたどりながら歩けば、より具体的に当時の情景を想像することができるだろう。
今回は街道歩きと参道歩きを取り上げたが、トレースツーリズムはそれだけではない。おおよそ線を「なぞる」観光は、すべてトレースツーリズムと言うことができる。
例えば、近年ブームとなっている「暗渠(=地下化された水路)」を歩くことも、水の流れを「なぞる」観光である。お城の堀跡や鉄道の廃線跡も、トレースツーリズムの対象になりうるだろう。
この連載では、そうした「なぞる」観光の楽しみ方を、さまざまな事例をもとに紹介していく。
私が伝えたいのは、「着眼点次第で街歩きは何倍もおもしろくなる」ということだ。
最後に一つ白状しておかなければいけないのだが、私が出雲大社を訪れたのはもう10年も前のことである。ちょうど、それまで東京を舞台としていた『ブラタモリ』が全国へと飛びまわるようになった頃だ。

私が出雲を訪れたのも、ブラタモリで出雲大社の回が放送されたことに触発されてのものだった。あれから10年が経ち、参道の風景もずいぶんと変わっていることだろう。
そろそろ、あの時の足どりを「なぞる」旅をせねばなるまい。
次回『第二章 「旅日記」をなぞる
―国学者・本居宣長が歩いた京都編』
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