起業、独立、複業など「自分軸」に沿った働き方を選択することで、より理想にフィットした生き方を手に入れようとした女性たちのストーリーを追う「INDEPENDENT WOMEN!」。

第3回は今注目のジェラテリエーレ、井上舞子さん。スウィーツの街、世田谷区自由が丘で老若男女に愛されるジェラテリア「AmiCono(アミコーノ)」のオーナーだ。「AmiCono」には“世界中の友達をハッピーにする”という意味が込められている。地元を代表するジェラテリアを作り上げた井上さんだが、実はそのキャリアは紆余曲折。起業に至るまでのプロセスに迫る前編。

文=小嶋多恵子 写真=北浦敦子

AmiConoオーナー 井上舞子

1984年生まれ。ジェラート職人、「AmiCono」店主。大学卒業後、在学中よりアルバイトをしていた外食産業大手グローバルタイニングへ就職。その後、語学習得のためのワーキングホリデー、ジェラート留学を経て、帰国後、(株)チャヤマクロビに転職。2017年に独立し、ジェラテリア「AmiCono」を自由が丘にオープン。ランボルギーニ社やマセラッティ社とのコラボ出店等イベント出店多数のほか、カクテルジェラート講座の講師も務める。また2020年に「SIGAイタリアジェラート国際コンテスト」に出場する等、精力的に活動している。趣味はサーフィン。

 

学生時代のアルバイト経験が人生を変えた

 井上さんの起業への思いは大学卒業と同時に就職した大手外食チェーングループ、グローバルダイニングでの経験から始まる。当時、理系の大学に通っていた井上さんにとっては異色の選択だった。

「たまたま入店した恵比寿ゼストのラグジュアリーで圧倒的な世界観に一瞬で魅了されてしまって。田舎娘だった私にとってはもう衝撃だったんです(笑)」

 すぐさまここで働きたいと思い、アルバイトを始める。

「書道の師範を持っているのが採用担当の目にとまり、字のきれいさを買われてか、アルバイトながらバンケット、いわゆるパーティー担当を任されたんです。主に結婚式の二次会や企業の歓送迎会、芸能人のパーティーなどを仕切る。人数が多ければやることの規模も大きく、ひと晩で何百万円というお金も動く部署でした。まだ二十歳そこそこで結婚式も出たことないですし、歓送迎会も知らない。そんな中でボスの下についてやってみろと、とにかくがむしゃらでした。でもそれがすごく楽しくて」

 一時間働いただけで化粧が滝のように流れたという。華やかな空間にいながら仕事はハード。それでも接客という仕事にどんどん引き込まれていった。

ジェラートがなるべく外気に触れないよう設計されたショーケースもこだわり。

安定した内定先を辞退し“好き”を仕事に

「最初は就職までの2、3年の予定だったんです。大学の専攻は理系でしたから就職は製薬会社かMR、研究開発などが規定路線かなと。理系職で一通り受けたのですが、どこもしっくりこなくて悩みました」

 結局大手製薬会社の内定を断り、決心したのはグローバルダイニングへの就職。それが今の原点だと振り返る。

「バイトとはいえ、とても貴重な経験でした。バンケット担当って特にお客様とのお付き合いが長く、密なんです。例えばウェディングパーティーの場合、1年前からのお付き合いになることもあります。たった2時間のパーティーでも、できるだけお客様の声に応えたい。もう全力投球、何でもやりますというスタンス(笑)。大変ですが、終わった時、お客様からの“ありがとう”の言葉が大きくて。お客様のよろこぶ笑顔や言葉が原動力なんです」

 両親には飲食店への就職を猛反対されたが、「いつか自分の店を持ちたい」と説得。その思いを持ちながら、キャリアを模索していた。

「特別なものではなく、毎日気軽に食べてもらいたいから」とシングル380円の値段設定。

完璧主義から楽観主義へと変化

 転機を迎えたのは20代半ば。引き続きバンケット担当として働いていたが、コンプレックスだった語学力を伸ばすため、オーストラリアへワーキングホリデーに行くことを決意。グローバルダイニングを退社する。

「それまでとは大きく価値観が変わった気がします。もともと完璧主義なところがあったのですが、同じく留学に来ていたノリのいいヨーロッパ人たちと過ごすうちに、自分もだいぶ楽観的になれたというか(笑)。帰りたくなったら帰ればいいやと思えるようになって、心が軽くなったんです」

 この時完璧主義という殻を破れたことが、後々起業する時にも思い切りよく動けた理由だと話す。

 帰国後はパーティを取り仕切るウェディングプランナーをやりたいと思い有名レストラン、キハチへ再就職。そんな折、2011年3月11日、東日本大震災が起こった。

「建物の修繕工事のためウェディングパーティーができなくなったんです。このままウェディングプランナーとしてやっていくか、別の道を探すかを考えました」

 そこで思い出したのが心の奥底にあった“いつか自分の飲食店をやってみたい”という思い。ウェディングをはじめパーティー担当の仕事しか経験がないこともあり、今度はイタリアンレストランへ転職。がむしゃらに働き、数か月後には店長になった。

40歳で今の働き方は続けられない

 次の転機は30歳の誕生日。

「当時、朝から晩まで休みなく働いていて、30歳になる瞬間は店のカウンターで迎えました。その時に、40歳になる時に同じ働き方はできないなって。自分で仕事をする場所を作っていかないとこれからもっとしんどくなるんじゃないかと感じたんです」

 “いつかは”と漠然と思っていたことを“今だ”と開業へ向け舵をきった。

 趣味のコーヒー好きがこうじてバリスタの資格も取っていた井上さんは、まずカフェのオープンを思い立つ。

「でも冷静に考えたらスターバックスとかドトールとか大手チェーンに敵うのか?喫茶店は回転率も悪い。コーヒーにこだわるだけじゃ勝算はまったくないなと思って。コーヒーと・・・何だろう?」

ジェラートを食べている時はみんな笑顔になるところに惹かれた。

心をときめかせたジェラートの存在

 悩んだ井上さんは、とにかく部屋中のアルバムをすべてひっくり返した。

「自分は何が好きなのかを徹底的に探そうと思ったんです」

 20代の頃は年に一回行く海外旅行がモチベーションだった。たくさんある海外の写真の中、ある一枚に釘付けになる。イタリアで撮ったジェラートの写真だ。

「見た瞬間、“あ!”と閃いたというか。カラフルなジェラートが好きだったのはもちろん、子供からお年寄りまで年齢に関係なく楽しそうにジェラートを食べているシーンを思い出したんです。それに自分で作れるひと皿は何かと考えた時、今から料理学校に通うのも違うし、パティシエになれるほど器用じゃない。そうだ、ジェラートならどうだろう?って」

 それからの行動は早かった。早速調べて、ジェラート留学というものを発見。

「時間もお金もないし、長期滞在して修行するにはイタリアは物価も高い。サクッと紹介してくれる代理店を頼ったほうが現実的だし、早いと思ったんです。とにかくまずは自分にジェラート作りができるかどうかを確かめにいってみようと。それにイタリアのフィレンツェは今まで旅した中で一番好きな場所。ジェラートも好きだし、どうせ学ぶなら本場がいい。ここで学べるなんて最高かもしれない!」

 30歳の誕生日から半年後、これまでに貯めた貯金を使い井上さんはジェラート留学のためイタリア・フィレンツェへ向かった。