選択肢の多さが生む「迷い」と現代人が抱える苦悩

 現代は、選択肢が非常に多い時代です。

 インターネットの発展により、世界中の情報が瞬時に手に入るようになりました。これまで知ることができなかった分野や、新しいキャリアの可能性など、多くの選択肢が私たちの前に広がっています。

 しかし、選択肢が多すぎることが、かえって私たちを迷わせてしまう原因にもなっています。

 たとえば、レストランで「カツ丼しかない店」と「バイキングで何でも選べる店」があれば、多くの人は取り放題ができる後者を選ぶでしょう。

 選択肢が多いほうが自由で良いと思いがちですが、同時に「何を選べばいいのか決められない」という悩みが生じるのです。

 これは人生の選択にも当てはまります。現代人は選ぶことに苦しむ傾向があるからです。

 「あれもやりたい」「これもやりたい」と考えながらも、「私の人生はこの道でいいのかな」と迷い続けてしまう。情報が多く、可能性が広がっている現代だからこそ、選択肢の多さが逆に行動を鈍らせる要因となっているのです。

 人生というのは、自分が気になったことをすべてやっていくには時間がなさすぎるし、一つのことをずっとやっていくというと他のことを知らないで死んでしまうようで、もったいないような気がしてしまうんですよね。

 私たちは五感に飛び込んでくる刺激が一定になるとつまらなくなってきます。SNSのショート動画はいい例で、次々と新しい情報が流れてくるから夢中になります。

 そんな時代において、一つの道を貫き、やり抜いている人の姿は魅力的に映ります。

 たとえば、「地球を一周しよう」と決めた人がいたとします。

 しかし、歩き始めて5キロほど進んだところで「別の道のほうが良いのでは?」と考え、方向を変えてしまう。さらに進むと「ちょっと飽きてきたな」と別の道を選ぶ。

 このように途中で道を変え続けていると、結局どこにもたどり着かず、同じ場所をぐるぐると回っているだけになってしまいます。

 一方で、寄り道せずに歩き続けた人は、最終的に地球を一周し、元の場所に戻ってきます。そうするとどこの場所が好きだったとか、ああいうところが自分にとって面白かったなということが見えてくる。そのとき、旅の全体像が見えて、「世の中はこうなっているのか」と理解できるのです。

 だから、ころころ道を変えていくというのは、実はいろいろな道を通ったような気がしているだけ。

 これも人生においても同じことが言えます。途中で「この道でいいのだろうか?」と迷うことは誰にでもあります。でも方向性を変えてしまうと、結局どこにもたどり着きません。

 「決めた道を進む」と覚悟を持ち、継続することで、自分自身の得意なことや可能性が見えてくるのです。

仏教の教え「誓願」という目標の立て方

 仏教には「誓願(せいがん)」という考え方があり、目標は遠くに大きく掲げることが大切だとされています。

 目の前にある小さな目標は、「いつでも達成できる」と思ってしまい、真剣に取り組めなくなります。しかし、自分がこうなりたいと思う像を遠くに目標を置くと、そう簡単には達成できません。

 簡単にできないからこそ、「そこへ到達するために今何をすべきか?」と自らを律することができるのです。

 

 たとえば、「エベレストに登る」と決めた場合、それを達成するためには日々の行動を変えなければなりません。体力をつけるために朝5時に起きて走るようになり、必要な装備を揃えたり、専門家にアドバイスを求めたりする。

 遠くに目標を設定することで、日々の生活が目標達成に向けて整えられていくのです。そしてそのためには目標をしっかりと自分の中で決めることが何よりも大切です。

 多くの人は大きな目標を立てた時、「自分には無理だ」と思い込んでしまいがちです。何かを成し遂げた人たちを見て、「あんなふうにはなれない」と感じることもあるでしょう。

 しかし、本当に重要なのは「今の生活の延長線上では到達できない目標を設定すること」です。何かを成し遂げたいのであれば、何かを犠牲にし、何かを変える覚悟が必要です。

 現在の延長線上にあるものは、結局のところ、自分がすでに手に入れられる範囲のものに過ぎません。

 そうすることで、日々の仕事の仕方や行動の選択が変わり、自然と目標に向かうための新たな原動力が生まれてくるのです。

必要な「仲間」の存在

 大きな目標を掲げていても、誘惑に負けてしまうことは誰にでもあります。

 大事MANブラザーズの「それが大事」という歌が流行したのも、多くの人が「誘惑に負ける経験」をしているからではないでしょうか。人は誰しも、怠けたり諦めたりすることがあります。むしろ、誘惑に負けるのが普通なのです。

 お釈迦様はそんな人間の欲を見抜き、「一人で修行するな」と教えました。

 仏教の修行では「サンガ(僧伽)」と呼ばれる集団を作り、4人以上で修行をすることが推奨されています。

 では、なぜ「4人以上」なのでしょうか?...