2000組以上の夫婦をカウンセリングしてきた夫婦カウンセラー・安東秀海氏の著書『夫は、妻は、わかってない。』。「夫に早くあの世に逝ってほしい」「夫婦との会話にウンザリする夫」など、夫婦が直面する問題について、実際にカウンセリングした体験を書籍化したものである。

 「エア離婚」という言葉を生み出し、夫婦について綴るエッセイが話題を呼ぶタレントでエッセイストの小島慶子さんに、この本を読んでもらった。小島さんが本を通して見つめ直した夫婦の「関わり」、そして「関係の立て直し」とは?

撮影: 河内彩
小島慶子
エッセイスト・タレント

東京大学大学院情報学環客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所特別研究員、NPO法人キッズドアアドバイザー。1995年TBS入社。アナウンサーとして多くのテレビ、ラジオ番組に出演し、2010年に独立。10年間のオーストラリアとの二拠点家族生活を経て、2024年からは日本に定住。著書『曼荼羅家族』(光文社)、他多数。公式X:@account_kkojima
撮影: 河内彩

 

文=小島慶子  

 夫婦はいろんな問題がむき出しになる関係

 人には言えない夫婦の悩み。もちろん私にもありますとも! よそのご夫婦のカウンセリングの記録には、身に覚えのあるフレーズやエピソードがたくさん出てきます。読みながら密かに胸を撫で下ろしました。ときに荒んだ気持ちになるのは自分だけじゃないのね、と。どうも私の周囲だけなのか、こと夫婦関係の話になると語気の荒くなる女性が多い。みんな色々悩んでいるのです。

 夫婦って、いろんな問題がむき出しになる関係ですよね。こんがらがった糸をほぐすには、傷ついている自分や、時には相手を傷つけている自分と向き合わざるを得ないこともあります。

 ここに出てくる夫婦たちの会話は、ごくありふれたものです。はいはい、あるあるな夫婦喧嘩。でもそこにカウンセラーが介入することによって、言葉の奥にある問題がくっきりと浮かび上がってきます。興味深いのは、素人目にはもう別れた方がいいよと言いたくなるような夫婦でも、実はうまくやりたいと考えていること。本当はうまくやりたいのにそうできないから、腹を立てているのです。別れたいと思っている時も、もしかしたら「相手が今のままなら」という条件付きかもしれません。

関わってしまったものは、関わり倒すしかない

 よく、他人を変えることはできないから自分がモノの見方を変えましょうと言いますよね。個人的には、これがうまくいく場合とそうじゃない場合があると思っています。相手を変えられるはずだと思うのは確かに傲慢だけど、相手が変わる可能性を全く考慮しないのも視野を狭めると思うのです。

 どうも私は、相手に期待することをやめられません。たいていの人は基本的にはより良い自分でありたいとか、もっと人生うまくいくといいなとか思っているんじゃないでしょうか。なかなか変われない人でも、内心では変われたらいいのにと切望していることはあると思うんです。相手に期待することは、相手の存在を肯定すること。その期待が裏切られたり通じなかった時にどうするかというのが、問題です。

 どうせ何言ってもこの人は変わらないから、と別れを望むようになることもあるでしょう。どうせこんなもんだと見限って、割り切って関係を続けることもあるでしょう。私の場合は「期待通りにはならないだろうけれど、関わってしまったものは関わり倒すしかないな。関わるからには全力で関わろう」と考えてしまいます。関わる、ってどういうことなんでしょうね。それを知りたくて、なかなか諦めがつかないんじゃないかという気もします。

 夫婦は元々他人です。出会って親しくなって、性的な関係を独占したいとか、生計を共にしたいとかいろんな理由で、互いに他の誰とも違う特別な存在になることを望むようになります。それで結婚するのですが、紙切れ一枚で法的関係は変わっても、他人であることは変わらないのです。ところがなぜか「夫婦になったのだからわかるはずだ」などと、相手と自分を地続きで考えるようになってしまう。

 夫婦の間に持ち上がる様々な問題は、どこかでその人が元々育った家族との間で抱えている問題に通じているようにも思います。生き直しをするというか、かつて得られなかったものを取り戻したいという気持ちは多かれ少なかれ誰もが持っているものじゃないでしょうか。

夫婦とは人間の複雑さを知るためのラボのようなもの

 私の場合は、悪気はない人たちだけど一緒にやっていくにはなかなかカロリーを使う親きょうだいが揃った家庭で育ったため、夫と出会ってやっと穏やかで安心できる場所を得たという思いがありました。それは結婚してわずか3年で根底から崩れてしまうことになるのですが、そこから、いわばマイナスからの関係立て直しを、子育てをしながら20年以上かけてやってきた感があります。

 関係立て直しというよりも、全く新しい高負荷の関係への適応を試み、なぜこれが起きたのかということを構造から捉え直す長い長い思考と言語化の旅を続けてきました。それはいわゆるリラックスできる安心できる関係ではなかったけれど、人間を知るとか人と関わるという意味では、なかなかに味わい深い経験ではありました。

 きっと世の中には、相性バッチリで喧嘩したこともなく、終生互いを尊敬し労り合える夫婦もたくさんいるでしょう。どうして自分はそのような夫婦を生きることができなかったのかという切ない気持ちもあります。来世ではぜひそのような夫婦関係を生きさせて欲しいです。しかし今のところは今生を生きねばなりませんから、目の前にいる人との関係をどうするかを考えることになります。この手に負えない自分ともなんとかやっていかねばなりません。

 私にとって夫婦とは、一般的に夫婦愛と呼ばれるもので結ばれた特別な関係ではなく、人間の複雑さを知るためのラボのようなものです。人間に生まれて、人間がなんであるかを知る旅を続けた、それは大変な旅路であったがなかなか面白かった、と最後に思えたらいいなと思います。

 人生を惜しむときには、楽しかったことや嬉しかったことばかりではなく、苦しみをいかに生きたかということも懐かしく振り返ることでしょう。別にわざわざ苦しむ必要はないですが、ときに誰かの助言を得ながら、このややこしい関係を生きてみるのも悪くないなという気がしています。