著名な育児論や教育法はたくさんあるけれど、理想通りにいかないのが子育て。だからこそ、机上の空論ではなく、実際に日々悩み、模索しながら子育てに向き合ってきた先輩たちのリアルな声が聞きたい。そんな思いから、独自の育児をしてきた先輩パパママたちの“子育て論”を聞く本連載。今回は、子どもと大人がともに遊びと暮らしを作る地縁コミュニティ「そっか」の共同代表を務める小野寺愛さんに会いに、逗子へ。後編では、「そっか」の活動を通して感じた子どもたちの様子や地域とのつながりについて伺います。

編集・文=石渡寛子 写真=北浦敦子

小野寺愛さん
ピースボート職員として16年間勤務後、一般社団法人「そっか」の共同代表に。スローフード三浦半島代表も務め、翻訳したアリスウォータースの著書『スローフード宣言〜食べることは生きること』(海士の風刊)が2022年10月に出版予定。中学3年、中学1年、小学2年の子どもを持つ。

「黒門とびうおクラブ」との出会いで広がっていく世界

 まだ逗子から都内勤めを続けていたころ、友人の永井巧さんが始めた「黒門とびうおクラブ」の素晴らしさに触れ、サポートを始める。理想としていた子育てと地縁コミュニティへの道が本格的に動き出した瞬間でもある。

「とびうおクラブは、逗子海岸と地域の自然の中で遊ぶ小学生向けの放課後クラブです。砂遊びや鬼ごっこ、ビーチサッカーに熱中する子もいて、大会に向けて真剣にカヌーやパドリングを練習する子もいる。秋冬は山を走りまわり、寒くなったら焚き火をして。活動は子ども主体で、コンディションや季節に合わせても変えていきます。

 見てください。めちゃくちゃいいんです、子どもたちの顔が!

水の中での速い走り方をマスターし、競い合う子どもたち

 海の経験が豊富なコーチばかりで、教えようと思ったらいくらでも教えることはできる。でも、スキルを身につけるより前にまず大事なのは、”ここにいていいんだよ” “あなたのままでいいんだよ” という場の安心感を子どもたちが受け取ること。

 海が自分の居場所になって、そこに思いきり遊んで良い環境が整えば、子どもたちはこんなにも素晴らしい表情をするんだとわかりました。

 そんな小学生の子たちを見ているうちに、まだ小さい”妹や弟とも、思いきり海で遊びたい” と思うようになりました。それで末っ子が2歳のときに周りに声をかけ、母子5〜6組が毎週水曜日に海で遊ぶ自主保育をはじめました。

 声をかけあって、自分で考えて、みんなで決めて、ひたすら野外で遊ぶ。なんでもないことですが、これがすごく楽しくて。続けていたら、3年後には気づけば親子50組ほどに増えていました。

 そんな中、『もう、このまま小学校にあがるまで海と森で子どもが育つ常設園、作っちゃおうか!』という流れで始めたのが、うみのこ保育園です(笑)。

 とびうおクラブでも、うみのこでも、火もナイフも使います。小さな火傷があるかもしれないし、擦り傷も日常茶飯事。でも危ないからといって遠ざけるのではなく、正しい付き合い方を覚えたほうが、判断力も、感じる心も育つ。そんな気がしますよね」

 小学生だけで160人、うみのこ保育園にも27人。大人も合わせたら400人以上のコミュニティだ。ここまで輪が広がったのは活動の魅力はもちろん、もうひとつの要因も大きいのではないかと小野寺さんは分析している。

「一緒にやっている永井さんが天才的で。いつも楽しそうだしニコニコしているんですが、すごく余白があるというか… 肩の力が抜けているんです。”サービスが提供されている” という感じは、まったくない(笑)。

 当日の活動連絡が直前まで来なかったり、合宿の持ち物や集合場所が一週間前になっても伝達されなかったり。思わず、一緒にやろうか?ってなっちゃいますよね(笑)。でも、それがよかったんだと思います。

 新しく参加を希望する人にもお伝えしているんですよ、“不完全な人間が集まって運営をしているので、完璧なサービスは提供できません” “自分も一緒にやろうと思ってくれる仲間がほしいと思っています”って」

 小野寺さんがうれしそうに教えてくれた、うみのこ保育園での一例がそれを物語っている。

「うみのこ保育園の給食は、とびうおクラブで一緒だった料理上手のお母さんたちに作ってもらっているんです。お渡ししている時給の範疇をはるかに超えて、みんなやりたいことがどんどん出てきちゃって、仕事なのか、趣味なのか(笑)。

 今日も、近所のお家に声をかけて梅を取りに行って、みんなで夏のかき氷用シロップを仕込んでいました。

 先週、メロンパン作りをしたときも最高でした。まずは近所のパン屋さんを子どもたちとまわって試食会をして、目指すメロンパンを決めたら、今度は材料の調達だなんて言って、年長さんたちを連れて牧場まで行っちゃう。牛に触れて、牛乳を買ってきて、なんとバターを手作りするところから始めたんです(笑)。

 パンは園庭で育てた小麦入りだし、卵は養鶏場まで買いに行って、生産の現場から食卓へのつながりがすごくよくわかる。こんな場にいたら、食べることが好きになりますよね」

一軒家を改築した「うみのこ保育園」

 梅や夏みかんなどを取らせてくれるご近所さん、商店街、ビストロのマスター、農園……今ではコミュニティは活動に参加している親子だけではなく、地域全体へとつながっている。

子どもに気づかされた、第三のコミュニティの大切さ

 小野寺さんの3人のお子さんも「うみのこ保育園」や「黒門とびうおクラブ」を経験。しかし、最初に参加を始めた長女には、積極的になれない時期もあった。

「長女は絵を描いたり音楽に没頭したりするのが好きな子で。海の時期は良かったんですけど、寒くなって森に行くようになったら“夜の森は暗くて怖い”って、とびうおに行きたくない時期もあったんです。

”ほかの習い事はなんでもやっていいし、辞めてもいい。だけど、とびうおクラブでみんなと過ごす時間だけは、ママを信じて、続けてみてくれない?” って声をかけたことがありました。そしたら、小学3〜4年生だったかな。いつからか、彼女にとってとびうおクラブが居場所になっていたんですよね」

 学校には子どもだけの社会がある。無邪気な気持ちだけで過ごせない年頃を迎え、少し戸惑っていた我が子。そのときに発した言葉は、いまも心に強く残っているという。

“小さいころから一緒だったとびうおのみんなといると、なにも探りあわなくていい。仲間って感じで、心がひらく”

「聞いたとき、泣いちゃうかと思いました。この海と森で3年間、毎週雨の日も風の日もみんなで遊んできたもんね、って。コミュニティはこうして、時間と場を重ねることで自ずと生まれるんだってことに、子どもを通して気づかされたんです」

コロナ禍でストップした世界。でも子どもたちは止まらなかった

 そうやって形作ってきた活動にもコロナ禍が直撃する。集まることができず、悶々としている中で、子どもたちが自主的にアクションを起こす。

「コロナが始まったばかりのころ、飲食店のテイクアウトがあちこちでスタートしましたよね。逗子でも、市民有志が素敵なテイクアウトガイドを作っていました。

 一方で、子どもたちの中には、テイクアウトをすることで容器を使い捨てることが気になって、“持ち込みの容器でもテイクアウトができるお店を聞き込み調査して、エコマップを作ってるんだ” という子たちがいました。

 全店舗を訪ねて聞き込みをするのはさぞ大変だろうからと ”私も電話で手伝おうか?”と聞くと、子どもたちは、”電話はダメ。なんで自分たちがこの活動をしているか、直接会って話したいから”と言うんです。もう、シビれました!

 こういうおもしろい芽を見つけたら、本気でやっている大人にぜひつなぎたい。”せっかくだからみんなが調べたエコマークのお店、市公認のガイドに追加できないかかけあってみようよ” と動くと、ガイド制作者もいいねいいね!って快諾してくれて。

 この話が出たとき、いろんなメディアから “子どもたちにどんな環境教育をしているんですか?”って取材が来たんですけど、私たちはなにも教えてないです。自ら動き出した彼らの応援をしているだけ。ただ、小さい頃から遊び場だった海が大好きで、ゴミが出ることが嫌だという気持ちが原動力なんだと思います」

子どもたちのアートで鮮やかに彩られた「うみのこ保育園」の室内

 自分で考えて自分で動き出す。これからの世の中で一番必要とされるであろうその精神と、自然の中で過ごした時間はどのように関連しているのだろうか?

「赤ちゃんもそうですが、海も大きな自然です。なんでも人間がコントロールできてしまいがちな社会で、絶対に思い通りにいかないもの。その思い通りにはいかない場所で思い切り遊び、ただ感じる時間って、すごく大事なんじゃないかと思うんです。

 いまはみんな、習い事にたくさん通って、毎日がルーティン化しがちです。大人も子どもも “さあ、何しようかな” と考える余白はなく、ただ予定を ”こなす” ことに慣れてしまっている。そうすると、いざ時間ができたときに戸惑ってしまうんですね。徹底的にヒマだったら楽しく過ごしたいから自分で工夫するはずなのに、工夫する余白が奪われている。

 たっぷりの時間がある状態で、自分の思い通りになんかならない海で遊ぶ。そこで子どもの遊び方を見ていると、砂浜でひたすら穴を掘ったり、波と延々と追いかけっこをしていたり、面白いんですよ。

 大人はすぐに “そんなことしてどうなるの?” とか聞いちゃうんですけど、“どうにもならないからこそ大事” みたいなこと、たくさんあると思うんです」

 逗子のような恵まれた環境だから実現できることではなく、気持ちと行動次第で取り入れられることがあるのではと続けます。

「もし都内であれば、たとえば代々木公園だって広大な自然です。高尾山に行ってみてもいいかもしれない。実は私と永井さんで、コンクリートだらけの青山周辺で、”採って食うワークショップ“ をやったことがあるんです。

 都心にだって、植え込みとかあるじゃないですか。そういうところを覗くんです。あのときはヤブカラシという雑草が生えていたかな。この新芽が米粉をつけてごま油で揚げるとすごく美味しかったり。都心にいると人に興味を持ちすぎて自然を見ないクセがついてしまう。でも、探せばあるんです。

 “自然の面白さを子どもに体験させたい”と言う人は多いけれど、であれば、まずは自分がどう楽しめるかという気持ちで向き合ってみたらいい。親がハマってワクワクしていることなら、子どもも必ず、“入れて!” ってなるから。

 とはいえ、私が都心暮らしをしていたときは、平日に身近な小自然を楽しんで、週末は遠出しちゃっていましたね。遠出するとそれなりに出費もあります。思い切って移住してみると、実は生活コストと豊かさは安上がりになるかもしれません」

自分を信じて動いたその先に見た景色

〈おもしろい〉を見つけるたびに点と点をつなげ、フットワーク軽く動いていく。ふと、そんな小野寺さん自身がどのような幼少期を過ごしてきたのか気になった。

「親が転勤族だったので、いろいろな場所で暮らした経験があって、転校も繰り返していました。それで、おもしろいことにはすぐに飛びつかないとっていう精神が染みついたのかも。特に小学6年生時に過ごしたアメリカでいい刺激をたくさんもらいました。

 私もそうですが、一緒に“そっか”をはじめた仲間たちに共通しているのが、20代は世界を旅して過ごしていたことなんです。自分なりの答えを探してひたすら世界を旅をした結果、今はどローカル。足下(そっか)に大事なことがあったね、っていうところにたどり着いた気がします」

 海岸に腰掛け、子どもたちの活動を横目に行ったインタビュー。どんどん集まってくるみんなが自然と声をかけ合い、子ども同士が戯れあい、親たちは世間話を始める。その景色を見ながらポツリと語ってくれた。

「私が新米母だったときに喉から手が出るほど欲しかった風景が、いつの間にかできていた。みんなで子どもたちに “そのままでいいよ” ”あなたはあなたのままで” って応援してきたら、結果、そこに関わった大人たちも好きなこと、新しいことに挑戦できる文化が出来上がっていて。

 作ろうと思っていたころは、できなかった。時間はかかりましたが、時間と場をみんなで重ねてきたからこそ、今の風景があるんだと感じています」