アート鑑賞をもっと楽しみたい方、独学から一歩踏み出して「本物の知性」に触れてみたい方へ。

NHK『3か月でマスターする西洋美術』でも話題の田中久美子教授(文星芸術大学)が、普段美大の講義で伝えている最先端の西洋美術史をわかりやすく体系化してお届けするコンテンツが始まります。

ラスコーの洞窟壁画や古代ギリシャ彫刻から、ルネサンスの三巨匠、そして20世紀の現代美術まで——。 単に作品を鑑賞するだけでなく、当時の文化・社会・時代の「網目」をひもときながら多層的に徹底解説。誰もが知る名画の隠された文脈や、美術史を語る上で欠かせない重要作品の魅力を余すことなく紐解きます。

一度学んだ方の「学び直し」はもちろん、次の美術館めぐりが何倍もワクワクするものに変わるでしょう。

 

*第1章「古代」は、全10回でお届けします
 古代美術の歴史は、人類が祈りを込めて動物を描いた洞窟壁画に始まり、死後の永遠を求めたエジプト美術、理想の人体を追究したギリシャ美術、巨大帝国ローマが築いた建築と都市、そして信仰を形にした初期キリスト教美術へと大きく進化していきました。
 彫刻や絵画、建築などの代表作を鑑賞するだけでなく、時代背景や宗教、思想とともに古代美術を読み解き、西洋美術の礎がどのように築かれたのかを探っていきます。

 

エル・カスティージョ洞窟内に描かれたバイソンのような動物と手形 ガビネテ デ プレンサ デル ゴビエルノ デ カンタブリア CC BY 3.0 ES via Wikimedia Commons

絵を残していたネアンデルタール人

 描かれた人物の佇まいに心惹かれ、清澄な風景に心洗われ、はずむタッチに目を奪われ、色彩や線のリズム、美しいフォルムに感覚的な喜びを覚える—皆さんはそうした美術に触れる楽しみを十分に経験していらっしゃるでしょう。その楽しみをより深いものとするには、生み出された時代はどんな社会だったのかを知ること、そして作品の背後に語られる物語を読み解くことが鍵となります。そんな鑑賞が楽しめるようになり、美術に対する造詣がより深まるよう、この連載で西洋美術史をいっしょに勉強していきましょう。

 人類の歴史において芸術はいつはじまったのでしょうか。西洋美術史では多くの場合、紀元前800年頃の古代ギリシャを出発点として扱っています。しかし、1879年夏、5歳の少女マリアによって、スペイン北部にあるアルタミラ洞窟の天井画が見つかったことが、美術界に大きな衝撃を与えました。今から約1万9000年〜1万5000年前の旧石器時代、クロマニョン人(現生人類、現在ではホモ・サピエンスと呼ばれる)によって、すでに岩絵や刻画が存在していたことが明らかになったのです。

アルタミラ洞窟の天井に描かれたバイソンやシカ イヴォン・フルノー CC BY-SA 3.0 IGO via Wikimedia Commons

 天井には色鮮やかな野牛(バイソン)やイノシシ、ウマなどの動物が描かれていました。岩肌の凸凹を活かしながら木炭で黒い輪郭を取り、酸化鉄の赤を使って立体感をも表現しています。現代アートのような生き生きとした迫力のある天井画は、この時代のクロマニョン人が、すでに高い芸術性を示す絵を描いていたことを証明するものです。

 アルタミラ洞窟は保存のため非公開となりましたが、実物大レプリカが世界に3か所あります。2か所はスペイン、そしてもう1か所は志摩スペイン村にありますので、興味のある方はぜひ訪れてみてください。

 この発見の後、フランス西南部のラスコー洞窟をはじめとするフランスの洞窟からも相次いで岩絵や刻画が見つかりました。ラスコーの洞窟画には黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を使っていることがわかっています。

 下の絵はラスコー洞窟に描かれた大きな角をもつ絶滅した巨大なギガンテウスオオツノジカで、その足元に並ぶ点状のライン(ドット列)は、古代の「抽象的記号」ではないかと注目されているものです。動物の繁殖周期や季節を記録した「暦」説、「原始的な月の暦(太陰暦)」であるという説、狩猟の成功率を上げるために動物の行動パターンを記録した人類最古の「文字に準ずる記録(プロト文字)」等、いろいろな説が提唱されています。

 アルタミラやラスコーの洞窟画は、動物たちをよく観察し、豊かな色彩と調和の取れた美しさで描かれています。また、生き生きとした線刻によって表現された動物は迫力に満ち、祈りに近い気持ちで描かれたに違いないと感じさせるものです。動物に比べ人間の描写は拙く、重要な関心の対象ではなかったことを物語っています。

ラスコーの洞窟画

 そして1903年、スペイン北部のエル・カスティージョ洞窟内に描かれた赤い円盤のような模様や手形の壁画が発見されます。近年、新たな手法で年代測定した結果、洞窟内の最も古い壁画は4万年以上前のものであることがわかりました。

 クロマニョン人がヨーロッパに到達したばかり、あるいはまだ到達していないかもしれない時代の絵であるため、ネアンデルタール人が描いた可能性が高いとされています。世界最古級の洞窟壁画という見方もされていることから、人類の芸術の歴史をさらに塗り替える重要な発見となりました。

 壁に手を押し当て、その上から口で顔料を吹き付けて残した「手形(ハンドステンシル)」が有名で、そのほかバイソンやシカなどの動物、はしごのような抽象的な記号が数多く残されています。

 ネアンデルタール人がこのようなものを残した可能性があることから、芸術の萌芽は人類の誕生とともにあったとも考えられます。芸術は人類にとって根源的なものであり、人間が生きることと強くつながっている、祈りにも等しいものだと思います。

 

クレタ文明とクノッソス宮殿

 それではここから西洋美術史の順に従って、「古代美術」から解説していきます。古代はメソポタミアにおいてシュメール人によって楔形文字が成立した紀元前3500年頃から、西ローマ帝国が滅亡した紀元5世紀までを指します。

 美術史では古代ギリシャから紹介することが多いのですが、その先駆けであり、ギリシャ美術に大きな影響を与えたのが、エーゲ海文明とエジプト文明でした。今回はエーゲ海文明について解説し、次回、エジプト文明について紹介します。

 エーゲ海文明は、新石器時代の後の紀元前3000年頃〜前1200年頃、約2000年にわたりエーゲ海周辺で栄えた青銅器文明の総称です。のちの古代ギリシャ文明の基礎となる文明です。主に紀元前2000年頃〜前1450年頃に栄えた「クレタ(ミノス)文明」と、紀元前1600年頃〜前1200年頃に栄えた「ミケーネ(ミュケナイ)文明」の2つに分けられます。

 この2つの文明は19世紀から20世紀にかけて、考古学者によって発見されました。1900年〜1932年、イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズはクレタ島で30年以上、発掘調査を行います。そして、ヨーロッパ最古の青銅器時代の遺跡を発見し、紀元前3000年頃から高度な文明が存在したことを明らかにします。この文明を伝説のミノス王にちなんで「ミノス文明」と名付けましたが、この連載では「クレタ文明」としたいと思います。

 クレタ文明の中心地であるクノッソス宮殿は、紀元前1900年頃に建設され、迷宮のような構造の宮殿には1200以上の小部屋が複雑に入り組んでいたことがわかっています。ギリシャ神話にある名工ダイダロスが作った「ミノタウロスの迷宮(ラビリントス)」の舞台ではないかともいわれています。神話では、ミノス王の妻と神聖な白牛の間に生まれた半人半牛の怪物ミノタウロスは、獰猛さゆえに2度と出られない迷宮に幽閉されます。この迷宮がクノッソスだったのでは、という説です。

 アテネの王子テセウスがミノタウロス退治を志願して迷宮に乗り込み、テセウスに恋をしたミノス王の娘アリアドネが迷宮から脱出するための「糸の玉」を渡します。テセウスはこの糸を入り口に結んで進み、ミノタウロスを倒して無事に生還できたという物語です。

 城壁がなく、平和な貴族社会が存在したクノッソス宮殿からは、赤や青を使った色鮮やかな壁画《百合の王子》や《闘牛(牛跳び)》などが発見されました。これらの壁画は漆喰が完全に乾いてから描くセッコ技法と、生乾きの漆喰に描くフレスコ技法が併用されて描かれたと考えられています。

 現在クレタ島のヘラクリオン考古学博物館で見ることができる《百合の王子》と《闘牛(牛跳び)》は、見つかった破片を組み合わせ、失われた大部分を補う形で復元されたものです。

《百合の王子》紀元前1550年頃 クレタ島、ヘラクリオン考古学博物館

《闘牛(牛跳び)》では、突進する巨大な牡牛の角を掴んで、その背の上で牛跳び競技をする若者たちの姿が躍動的に描かれています。単なるスポーツではなく、重要な宗教的儀式もしくは成人の儀礼であったと考えられています。

《闘牛(牛跳び)》紀元前1600年〜前1450年頃 クレタ島、ヘラクリオン考古学博物館

 また、宮殿の礼拝堂室跡から《蛇の女神》と呼ばれる小さい像も発見されました。女神に扮した女司祭を表しているといわれ、頭の上にネコかヒョウのような動物を乗せ、両手に蛇を掴んでいます。着用している胸元が露出したタイトな胴着は、「豊穣」や「母性」の象徴と解釈されています。この像からゼウスをはじめとするオリュンポスの12神が祀られる前に、豊かな大地、多産、肥沃、豊穣をもたらす大地母神の信仰が行われていたことがわかります。

《蛇の女神》紀元前1600年頃 ファイアンス(彩釉陶器) クレタ島、ヘラクリオン考古学博物館 C よりメッシー CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons

 フリルのスカートと刺繍のあるエプロンは、当時の宮廷女性のファッションだったのでしょう。石英の粉末を練って焼き、表面にガラス質の釉薬をかけた物で、非常に高度な技術を使って作られました。

 クレタ文明は紀元前15世紀頃の自然災害や、ミケーネ文明を築いたミケーネの人々による侵略で滅びたとされます。

 

シュリーマンが発見したミケーネ遺跡

 ミケーネ文明の存在は、ドイツの考古学者ハインリヒ・シュリーマンによって明らかにされました。シュリーマンは幼い頃読んだ古代ギリシャ人ホメロスの叙事詩『イーリアス』の記述を信じ、1870年からトルコのヒサルリックの丘を私財で発掘したことで有名な人物です。ここで『イーリアス』に記述があったトロイア遺跡や、数千点にのぼる金銀の装飾品や武具などの「プリアモスの財宝」を発見しました。

 エヴァンズのクレタ遺跡発掘の24年前にあたる1876年には、ギリシャのペロポネソス半島にあるミケーネ(ミュケナイとも)遺跡で発掘調査を行い、墓と多数の黄金の副葬品を発見します。円形墳墓から出土したのは、遺体の顔に被せられていた金の「アガメムノンのマスク」と呼ばれるマスクでした。このミケーネ遺跡の発掘によって、先史時代に高度な文化圏があったことが明らかになり、歴史から消えていた文明の実在が証明されました。

1876年、シュリーマンによってミケーネ遺跡で発掘されたアガメムノンのマスク DieBuche CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons

 シュリーマンは、これらはホメロスの叙事詩に登場するアガメムノンの墓と遺品だと主張しました。アガメムノンはギリシャ神話のミケーネ王であり、トロイア戦争におけるギリシャ軍の総大将です。しかし、後の研究によってアガメムノンの時代より前の紀元前16世紀頃のものと判明しました。

2匹の獅子の浮彫が施された「獅子の門」デビッド・モニオー CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons

 ミケーネ文明を担っていたのはギリシャ一族のアカイア人でした。紀元前1900年頃からギリシャ本土に南下し、定住したギリシャ人は徐々に力を蓄えていき、アルゴス平野を見下ろす丘の上にミケーネ王城を築きます。ギリシャ人が歴史に登場するのはこれが最初でした。

 王城は巨大な石組みの城壁に囲まれ、入り口には「獅子の門」と呼ばれる2匹の獅子がクレタ式円柱(ミノア式円柱とも)を挟んで伸び上がっている姿の浮彫があります。クレタ式円柱とはクレタ文明で発展した、古代ギリシャ建築のルーツのひとつです。下部が細く上部が太い逆円錐形のフォルムと、大きく膨らんだクッション状の柱頭が特徴です。また、城内の中枢部は炉を中心に4本の柱がある「メガロン」という部屋の形式で、これはのちにギリシャ神殿に受け継がれます。

 ミケーネはクレタ島とは異なり、強大な中央集権的な軍事国家の男性社会でした。ギリシャ人本来の文化と、クレタ島の文化の要素も融合しています。また、ギリシャ神話のオリュンポスの神々の前身となる存在も確認されています。

 ミケーネ文明が滅亡した理由は解明されていません。紀元前1200年頃、北方から鉄器を持ったギリシャ人系のドーリア人の南下によって滅ぼされたとする説や、東地中海一帯を荒らし回った「海の民」の攻撃を受けたという説、大規模な干ばつや飢饉、地震などの複合的な要因により滅亡したなどと考えられています。

 ミケーネ文明の滅亡により、古代ギリシャは文字による記録が乏しい「暗黒時代」へと突入しました。

 暗黒時代から後の美術の変遷については、第3回から解説します。

 次回はギリシャ文明に影響を与えたもうひとつの文明である、エジプト文明について紹介します。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

 

【参考文献】
『西洋美術の歴史1 古代——ギリシャとローマ、美の曙光』芳賀京子・芳賀満/著 中央公論新社
『増補新装[カラー版]西洋美術史』高階秀爾/監修 美術出版社
『新西洋美術史』千足伸行/監修 西村書店
『西洋美術史 美術出版ライブラリー 歴史編』秋山聡・田中正之/監修 美術出版社
『いちばん親切な西洋美術史』池上英洋・川口清香・荒井咲紀/著 新星出版社
『ギリシャ美術史入門』中村るい/著 三元社
『壺絵が語る古代ギリシャ 愛と生、そして死』古代オリエント博物館・岡山市立オリエント美術館/編
『13歳からの考古学 なんで洞窟に壁画を描いたの? 美術のはじまりを探るたび』五十嵐ジャンヌ/著 新泉社
『ナショナル ジオグラフィック日本版』2015年1月号 日経ナショナル ジオグラフィック社
『英語でめぐる世界の美術館 大英博物館&ナショナル・ギャラリー』田中久美子・池上英洋/著 ジャパンタイムス出版
『3か月でマスターする西洋美術』4月号 講師:田中久美子 日本放送協会・NHK出版/編集 NHK出版
『名画の読解力 教養のある人は西洋美術のどこを楽しんでいるのか!?』田中久美子/監修 エムディエヌコーポレーション
『ゼロから始める西洋絵画入門』田中久美子/監修 メディアファクトリー
『理由がわかればもっと面白い! 西洋絵画の教科書』田中久美子/監修 ナツメ社
『岩波 西洋美術用語辞典』益田朋幸・喜多崎親/編著 岩波書店 他

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ラスコーの洞窟壁画や古代ギリシア彫刻から、ルネサンスの三巨匠、そして20世紀の現代美術まで——。 単に作品を鑑賞するだけでなく、当時の文化・社会・時代の「網目」をひもときながら多層的に徹底解説。誰もが知る名画の隠された文脈や、美術史を語る上で欠かせない重要作品の魅力を余すことなく紐解きます。

一度学んだ方の「学び直し」はもちろん、次の美術館めぐりが何倍もワクワクするものに変わります。

*コンテンツ一覧

第1章「古代」
【無料】①芸術のはじまりと古代オリエント美術 
②ギリシャ美術に影響を与えたエジプト美術
③ギリシャ絵画のはじまりは陶器に描かれた絵
④ギリシャ美術・大理石彫刻のはじまり
⑤ギリシャ美術・盛期クラシック期
⑥ギリシャ美術・豊麗様式と後期クラシック期
⑦エトルリア美術と共和政ローマ美術
⑧ローマ美術
⑨初期キリスト教美術
⑩教会建築のはじまり

第2章「中世」(予定)
①初期中世(476年西ローマ帝国滅亡~10世紀頃)
②ビザンティン美術(3世紀~15世紀)
③ロマネスク美術(11世紀後半~12世紀)
④ゴシック美術(12世紀半ば~14世紀頃)

第3章「ルネサンス」(予定)
①プロト・ルネサンス(14世紀~15世紀)
②盛期ルネサンス レオナルド
③盛期ルネサンス ミケランジェロ
④盛期ルネサンス ラファエロ
⑤ヴェネツィア派
⑥マニエリスム(16世紀末)

今後、【北方ルネサンス】【バロック(17世紀美術)・ロココ】【新古典主義・ロマン主義】【写実主義】【印象派】【ポスト印象派】【象徴主義・世紀末美術】【現代美術】と続く予定です。

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