そうあってはいけない。何度も身を引き締めた。
思ってもみなかった「監督」の肩書きを背負わせてもらった期間は約12年。そのうち10年間は北海道日本ハムファイターズでのものになる。
後半はとにかく結果が出なかった。1年目でいきなりリーグ優勝を経験し、5年目には日本一にもなった。でも、最後の3年は5位が続いた。あの時のことを、今こんなふうに感じている。
──前半にいいことばかりあったから、そういう終わり方もまた野球だな。
本当に何をやっても、どれだけ考えても、結果が出ない。「いくら頑張っても報われない時はあるのだ」と教えられた。自分の野球人生のなかでも、一番、勉強になった日々だった。
結果が出なかった日々をそんなふうに評してしまえば、「冷めたやつだ」と思われるかもしれない。「無責任な」と、お𠮟りを受けるかもしれない。
誤解をしないでほしいのは、この感情は、「今、過去として」あの日々を振り返ったから生まれてくるものである、ということだ。
現場にいた当時の自分は、全然そんなふうには思えなかった。それは毎日、書き綴つづった「メモ」を見返せばすぐわかる。「なんなんだよ」って腹の底から湧いてくる怒りや、やるせなさ、悔しさ、申し訳なさ……とにかく、どうやったら勝てるんだ、と悩み続けていた。
あるシーズン、あるプレー、ある行動。
同じことであっても、生まれる感情は時間によって大きく変わる。ファイターズの監督を辞めた後、幸せなことに侍ジャパンの監督まで務めさせてもらい、最大の目標である2023ワールドベースボールクラシック(以下、WBC)優勝を果たすことができた。
その反響は想像を超えていて、いろんなところで私の考えを伝える機会に恵まれた。ときにリーダーとして、マネジメントとは、といった不相応なテーマで話をさせてもらった。
そうやって話をしていると、「過去」が美化されがちだ。結果が出なかった日々に対しても何らかの意味付けを勝手に、自分でしてしまう。「あの時、こう思っていたかったな」という願望に似た感情が入ってしまう。
それはそれで大事なことだけど、そこで思考をやめてはいけない、と思っている。
WBCで優勝を果たした後、はっきりとわかったことがあった。アメリカを倒し、世界一となった時、監督としてどんな景色が見えるのだろうか。そう思っていたが、いざ現実になると、「何も変わらない」ことを知った。「変わる」のは自分ではなく、周囲だった。
ともすると礼賛され、自分自身がそこに引っ張られそうになる。
そうあってはいけない。何度も身を引き締めた。
自分が監督として経験してきた「現場」で起きたことも同じだ。結果が出た後、苦しかった日々があったから今がある、そう考えることに意味はある。でも、その時「現場」で感じていたことを忘れてはいけない。あの時、ああしておけば、と悔やんだことに、違う意味を持たせてはいけないのだ。
5年目の回顧と、現在の回顧……そこにある「差」
「今」と「過去」について、(これだけ分厚い!)本書が持つ意味を伝えるために、もう少し話を進めたい。
例えば、いま一度、ファイターズ時代の10年を「ひと言」で回顧してみるとこんな感じだ。
2012年(監督1年目)は「人生最大の難関」。新人監督としていきなりパ・リーグ優勝を経験し、日本シリーズにも進出させてもらった。それでも思い返すのは「本当にきつかった」という思いだ。
それは日本中の期待を背負い、日本の宝となる選手を預かったWBCを指揮した時よりも大きなものになる。たぶん、あれほどしんどいことは、もう人生で起こらないと思う。
2013年(監督2年目)。「本当のスタート」。最下位という結果は大いに反省するべきところがあったけれど、大谷翔平を獲得して、理想に向かって作り上げていく作業がスタートしたという感覚で、意外と楽しかった。
2014年(監督3年目)は「勝負の始まり」。3位でシーズンを終えた。
そして2015年(監督4年目)が「勝つための模索」。17も勝ち越したのに優勝できなかった。それくらい福岡ソフトバンクホークスが断トツに抜けていた。普通にやっても勝てない。選手の能力を上げるだけではない。何かが必要だと考え続けた。
2016年(監督5年目)はそれが結実した。翔平のおかげではあるけれど、「面白い野球」ができて、日本一にもなれた。
2017年(監督6年目)は「壊す」。チームビルディングとは作り上げるイメージがあるけれど、壊していく感じだった。いや「壊れる」かもしれない。
2018年(監督7年目)は……、この年だけが「監督業の1年」がしっくりくる。日本一から5位になった前年、オフには翔平がメジャーに移籍した。Bクラスを2年続けてはいけない。持っているノウハウ、経験を総動員する。もちろんいつも、しているつもりなんだけど、この年は監督としてやりくりしてなんとか3位に持っていけた、というイメージだ。
そしてここからの3年、2019、2020、2021年はこのあと詳しく触れていくのでここでは一言ずつだけ。
2019年は「最高の想定外」、2020年は「野球と人生」、2021年は「集大成」。
思いついたままに振り返った10年。これが、日本一になった2016年のシーズンオフに出した『最高のチームの作り方』ではこう書いている。
人を成長させる、そして輝かせる。そのために監督には何ができるのか。
考え、悩み抜いて導き出した「もしかしたら、こういうことなのかもしれない」というものをグラウンドで落とし込んでみる。
同時に、それを「言葉」にしてみる。そんな5 年間だった。
1年目、ただがむしゃらだった。チームのみんなに勝たせてもらったリーグ優勝。日本シリーズでは2勝4敗でジャイアンツに敗れた。
2年目、振り返ってみれば一番つらかった1年。前年の優勝から、一転、最下位を経験した。
3年目、若い選手の成長を肌で感じた。3位。クライマックスシリーズをフルに戦い抜いた10試合が、貴重な財産になった。
4年目、優勝できると確信して臨み、最後まで勝てると信じて戦い抜いた。2位。クライマックスシリーズはファーストステージで敗退した。
5年目、はじめての日本一。夢にまで見た日本一の頂からは、勝つための課題だけがはっきりと見えた。
では結局、監督には何ができるのか。監督とはどうあるべきなのか。その答えを一般論に落とし込むのは、まだまだ自分には難しい。
それでも、この5年間に自分が発した「言葉」を追って行くことで、何かが見えてくるのではないかと思い、振り返ってみた。
すると、「過去の言葉」は発した瞬間に見せた色と違う色になっているものが多いことに気付かされる。いつもその瞬間は「こういうことなのかもしれない」と覚悟を持って口にしているのだけれど、時間を経て、より濃い確信の色となったり、新しい考えが加わってより深い色になったり、まったく違う色になったものもある。(『最高のチームの作り方』(2016年)より)
編集部注:抜粋ここまで(『監督の財産』にも収録)
わかりやすく比較すれば、今は「1年目」がもっともつらい時間だったと感じているけど、2016年の頃は「2年目」がもっともつらい時期だった。
「過去の言葉」は発した瞬間に見せた色と違う色になっている。
本書が手に取ってくれたみなさんに価値をもたらすことができるとしたら、ここがひとつのポイントかもしれない。
監督として「記憶が鮮明な時期」と「今」で、何が同じで、何が違うのか。本書はそれを知ってもらうことに挑戦している。
加えて。
経験したことを残す義務があるとも感じている。
監督生活を通して、自分以外の人間の教えに救われてきたのは、誰よりも私自身である。
例えば、三み原はら脩おさむさん。私が生まれるよりも前、戦後間もな1947
年に35歳の若さではじめてチームを率いた三原さんは、私が中学校に入学する前年の1973年まで、5 球団の現場で指揮を執り続けた。
実に26年、リーグ優勝6 度、日本一4 度。通算1687勝は同時代を戦った鶴岡一人さんの1773勝につぐ、日本の監督史上歴代2 位だ。「魔術師」と呼ばれたその三原さんの野球観、指導論は今なお、色褪せない。
三原さんには遠く及ばない、私の12年の監督生活の中で、その教えに何度も触れ、道の先を照らしてもらった。三原さんの存在がなければ、監督をここまで続けることができただろうか……その自分を想像することすらできないほどだ。
三原さんは私がプロ野球選手として東京ヤクルトスワローズに入団した1984年にお亡くなりになられていて、お会いする機会に恵まれなかった。
だから、いつも私の道を照らしてくれたのは、三原さんが残された「言葉」だった。
本書で幾度となく触れることになるが、『三原メモ』をはじめ、三原さんやその教え子にあたる先人たちが、それらを「残そう」としてくれたおかげで、私はそれを見つけることができた。
そしてそれが「本」でよかった。
これは変な想像になるが、もし私が三原さんに直接お会いして、本に書かれたことと同じような話を聞いていたら──もしかしたら、違った思いを抱いていたかもしれないと思う。
会って聞くことと本を通して言葉で知ることには、きっとかなりの差がある。前者は口調、顔色、その時の雰囲気などを通して、伝え手(相手)の思いがはっきりとわかる。
一方で、本を通して知った言葉は、読み手(自分)にとってある意味「都合のいいように」解釈をすることができる。こういう悩みに対する答え、ヒントが欲しい、と思った時、「これだ!」とストレートに読者(私)の背中を押してくれる、というわけだ。
だから、「直接、教えを請いたかった」という思いがある一方で、本を通して知るのも悪くない、ときには直接聞くより有意義だったかもしれない、と思ったりする。
ともかく、私は野球界を支えてきた先達や、経営者そして歴史上の偉人……思考を突き詰め、何かを成し遂げた人たちの言動を知ることで、監督としてどうあるべきか、どうすればチームを勝たせる監督となれるのかを考えること──それはつまり「監督という仕事」──に邁進することができた。
その経験は、私だけの胸にとどめるものではないと思っている。
過去と現在の「景色」を知ること、そして「言葉」を残すこと。
私の経験を未来に生かしてもらうこと。
「本というカタチ」はその点において好都合だ。
本書は、私がファイターズ時代に出した『覚悟』(監督1 年目、2012年)、『伝える。』(監督2 年目のシーズン前、2013年)、『未徹在』(監督4 年目、2015年)、『最高のチームの作り方』(監督5 年目、2016年)、『稚心を去る』(監督7 年目のシーズン後、2019年)を収録しつつ、その後に経験した監督生活で学んだことをまとめた。私にとっては、ファイターズの監督として1 年目のシーズン後を皮切りに現在に至るまでの「監督・栗山英樹」としての集大成となる。
過去を美化することなく、その瞬間を忘れることがないように、自分が「変わらない」でいるために。そして、野球界のこれからのために、目指すのはひとつの「監督のカタチ」の提示である。
監督とは普段どうあるべきで、悩んだ時に何をすべきか、すべきでないのか。監督、指導者といった野球に携わる方たちにとって「一生のヒント」になれば、これほどうれしいことはない。
補足として、本書はその性格上、書いた時点での思いがダイレクトに反映されているから、書いてあることが微妙に変わってきているところもある。勝手な都合ではあるけれど、それこそが本書の醍醐味でもある、と思ってもらえればうれしい。
『監督の財産』(はじめに)より。執筆は2024年。

